マシュマロ王国の留学生
ショートショートです。
それは、甘ったるくてふわふわした女の子だった。
僕にはそう見えた。少なくとも、最初は。
「ふわふわ~☆ わたし、マシュマロ王国からやってきたふわわちゃんなの! 法学部の1年生なの! 仲良くしてほしいの!」
真っ白なもこもこのニットとエンジェルピンクのフレアスカートを着た彼女は、王国の特産品だといういちごマシュマロをくれながら言った。
正直、彼女のような人間とは、今まで生きていて接したことがない。
中高一貫の男子校には挙動のおかしな男子はいてもこのタイプの不思議ちゃんはいなかったし、
身近な唯一の女性である母は教育熱心な専業主婦で、浮わついた女性を軽蔑する性分のひとだった。
まあ、各地から学生が集まる大学ならこういう人もいるかな、と僕は思った。
母や兄だったらきっとこの人を無視するだろう、とも。
「ふわわちゃんって言うんだ。よろしく。」
「正式名称はちょっと長いから、苗字で呼んでほしいの」
「苗字なんだね、ふわわちゃん。僕は村山タケルです」
「まあ! 神話の人物と同じお名前だなんて、とっても素敵なの!」
ふわわちゃんはまんまるな目を嬉しそうに細める。
もしかしてワカタケルのことだろうか? そんなことを言われたのは生まれて初めてだった。
ふわわちゃんはマシュマロ王国の留学生でありながら、日本の神話にも詳しいらしい。
「マシュマロ王国では、やっぱりマシュマロが特産品なの?」
僕がそんな風に気軽に雑談を振れたのは、かえって彼女が不思議だったからかもしれない。
「マシュマロ王国には、マシュマロの樹があるの!」
「それは、とっても便利だね」
彼女がくれたマシュマロのパッケージには、確かにマシュマロらしき実のなった樹が描かれてある。
それと、なんだか見たことがない文字も。
凝っていると思った。確かにマシュマロ王国の特産品の説明が日本語だったらおかしいし、何の表示もなくても変だ。
「そのマシュマロは環境に配慮された方法で栽培されていて、フェアトレードだからとっても安心なの」
ふわわちゃんはエコロジーや適正取引にも関心があるらしい。
よく見たらパッケージにもフェアトレード認証のマークがある。作り込みが丁寧だ。
「マシュマロ王国にもフェアトレード制度があるんだね」
普通そういった設定の場合、もっと桃源郷のようにどこにでも樹が自生していて、マシュマロがいくらでも採れそうなものだが。
「マシュマロ王国では、大規模プランテーションによる環境破壊と低賃金労働の蔓延が喫緊の課題なの」
急に設定が重くなってきた。
「それでこのサークルに入ったの?」
「そうなの~。将来は弁護士として労働者の権利保護の活動をしたいんだけど、その参考に外国の農業の実情もぜひ見ておきたいの!」
もう、ふわわちゃんが不思議なのか真面目なのか、僕には見当がつかなくなってきた。
「それだったら、向こうの青山先生に聞いてみたらどうかな。農業における技能実習制度の利用にも詳しいらしいよ」
ふわわちゃんの前に話しかけてくれた先輩から聞きかじった話を伝える。
正直、僕はふわわちゃんと話して混乱していた。
『マシュマロ王国のゆるふわな不思議ちゃん』だと思って接していた女の子が、
だんだんと、女の子らしいニットとスカートの似合う明るくて真面目な女子大生に思えてきて、なぜだか僕は気後れしはじめていた。
だから、ふわわちゃんが「ありがとう~」とふわふわお辞儀をして向こうのテーブルに向かったとき、僕は少し安堵した。
それはおそらく、自分の格好悪さを直視しなくてすむ、という安心感だった。
そんな安心感を覚えていること自体、格好悪いような気もしたけれど。
とりあえず、手持ち無沙汰な気がして、グラスに入った烏龍茶に口をつける。
僕も自分から誰かに話しかけたほうがいいと思った。
それとも、ふわわちゃんはそんなことを考える間もなく、息をするように自然に、知らない相手と話せるのだろうか。
誰かと目が合わないように注意しながら、周囲を見回す。
僕が勇気を出すより先に、モデルみたいな茶髪の青年が近づいてきた。
母と兄ならああいう人間も好まないだろう。
僕はただ、パーカーを着ているだけであれほどさまになることがうらやましいとだけ思う。
「ふわふわ~☆」
流行っているのか、その挨拶。
同じ挨拶で返せる度胸は僕にはなかった。ただこんにちはと返す。
青年は僕の隣に座り、持っていた烏龍茶をテーブルに置いた。
「甘くないお茶というのは素晴らしいね。君もそう思いませんか?」
僕は別に烏龍茶が大好きで飲んでいるのではないから、あいまいにうなずく。
そんなことを気にする様子もなく、彼はニコニコしていた。
「僕は留学生のニニだよ。農学部の1年生。よろしくお願いします」
「よろしく。村山タケルです」
「村山はどの学部のひと? 先輩ですか?」
「ううん、僕も農学部の1年生だよ。農業経済学に興味あってサークルに入ったんだ」
「そう! 僕は農作物を枯らすウイルスの研究がやりたくて留学してきたんだよ。農学部の菊間先生は著名な研究者なんだ」
この大学の人はみな、こうやって目的を持って来ているのだろうか。
ふわわちゃんも、その前に話した先輩も、学びたいことに対してとても熱心だった。
「ニニはちなみに、どこから来たの?」
そんな、意識が高くてキラキラしている相手なのに、ニニはなんだか僕にとって、すごく話しやすい相手だった。
「笑わない?」
急にニニがいたずらっぽい表情で声をひそめた。
「笑わないよ」
出身地を聞いただけで笑うなんてことあるだろうか。
でもきっと、ニニにはその経験があるから訊くのだろう。
「……マシュマロ王国」
こっそり打ち明けるかのように言うニニを、僕は真顔で見つめる。
大学には不思議な人がいることはさっき知ったが、さすがにふわわちゃんと設定を共有しているとは思わなかった。
僕は二人がかりでからかわれていたのだろうか?
おとなしそうな新入生だから?
でも。
「ほんとうに、笑わないね」
そう呟く彼は、僕から初めて目をそらして、頬をほんのり染めた。
僕が彼の話を笑わなかったことを、本気で嬉しんでいるようにしか見えなかった。
人をからかっている表情とは、思えない。
どういうことだろう。
彼の演技が上手いからそう思えるだけで、やっぱりからかわれている?
それとも、彼もふわわちゃんに負けず劣らず不思議な人で、たまたま設定が被ってしまっただけ?
あるいは、何らかの理由で(実は仲のよい不思議ともだちであるとかで)二人は設定を共有しているのだろうか?
「王国には、マシュマロがなるマシュマロの樹があるの?」
僕がそう言うと、ニニの目が一瞬だけきらきらして、
そのあとさらに頬が赤くなってしまった。
なんだかニニがかわいいような気がしてきた。
「マシュマロの樹を枯らすウイルス性の病気があって、僕はその研究をしたいんだ」
ニニは真っ赤だったけれど、心なしか嬉しそうだった。
不思議な話を他人にできることが、それを受け入れて笑わずに聞いてもらえることが、恥ずかしくて嬉しいのかもしれない。
少なくとも、僕はからかわれているわけではなさそうだと結論付けた。
ニニともっと仲良くなりたいと思った。
そう思って、だから、人生で初めて自分から、LINE交換を申し出たのだった。
とりあえず、家に帰ったらニニにLINEを送って、それからフェアトレードのことなどを調べてみようと思った。
ちなみにふわわちゃんがくれたいちごマシュマロは、今まで食べたことがないくらいふわふわで、甘くて、とろけて、美味しかった。