蟹を茹でる

カニ( @uminosachi_uni )のブログです

持てる者、モテざる者

ショートショートです。





渡辺エミは学校で一番のモテ女に違いなかった。涼やかな顔立ち、知性を感じさせるまなざし、凛と伸びた背筋を、女の子たちは自分たちの日常と切り離された「尊いもの」として見つめていたし、ぼくたち非モテも、羨みをもって遠くから見つめていた。

渡辺エミは、これまた学校でモテモテの伊達男とも交際していた。持てる者はさらに与えられ、持たざる者は奪われるのが世の常。
だけど、数日前に彼女は伊達男を振ったらしい。さすが学校一のモテ女、ハイスペックな物件でさえ、気に入らなければ自分から切り捨てるのか。

渡辺エミは見た目もよくて笑顔がかわいいが、どことなく人を寄せ付けない雰囲気があった。気が強くて自分の意見を主張することも原因だが、最大の要因は他にある。

渡辺エミは、ぼくみたいな非モテにもよく話しかけた。

よく、クラスの誰とでも分け隔てなく話せる人気者というのがいる。だがあれは、あくまで優しくてコミュ力の高いやつが、クラスの空気をよくするためにネクラにも話しかけてくれる、一種のパフォーマンスなのだ。

渡辺エミはそういうのとは違っていた。話したいから話すのだ。当たり前のように。そこにはコミュ力の高いやつが提供してくれる、盛り上げもフォローも相手任せのサービスみたいな会話はない。意気投合して熱を帯びる会話もあれば、最初から最後までずっと気まずいだけのやりとりもあった。後者の代表例がぼくだ。

喧嘩になることこそなかったが、渡辺エミにやり込められて根に持っているやつもいる。自分に体を寄せて話しかけてきた美人にさっくり論破されたら、期待したぶん余計に美人を憎む人間だっている。

「よかったらあなたの意見を聞かせてほしい」
渡辺エミは、ぼくの席の前に立って言った。ふつう渡辺エミほどクラスで一目置かれてるやつが、みんなの前でこういうことをわざわざ言うのは、「今からおまえを槍玉に上げます」という意思表示だ。

渡辺エミのたちの悪いところは、そういうことを、本当に興味だけで聞くところだ。ちょっとはぼくみたいな非モテの気持ちも考えてほしい。まあ渡辺エミみたいな恵まれたモテ女にはわからないんだろうけど。

渡辺エミは集まる視線に目をやると、慌てたように両手を振った。
「ごめん、こんな空気にするつもりじゃなかった!」
渡辺エミが言うと、クラスのやつらはほっとしたように笑って、そのままぼくの意見は聞かれることなく流れていった。
結局ぼくみたいなやつの意見なんて、渡辺エミにとってもクラスのやつらにとっても、どうでもいいのだろう。



放課後ぼくは真っ先に教室を出る。一人暮らしの家はぼくが一番自由になれる場所だ。僕を癒してくれるものがいくらでもある。イケメンと体育会系が我が物顔で支配するこんな教室とは、比べものにならない居心地。

校門を出たところで、渡辺エミが後ろからぼくを呼び止めた。
「さっきはごめんなさい。あまり空気を読むのが得意じゃなくて」
渡辺エミはそのままぼくのとなりに並んで歩く。
渡辺エミほどの強者だと、空気を読む必要なんてないのだろう。ぼくみたいな非モテが空気を読めないとなじられるのに、美人が空気を読めないとかわいいってことになるのだ。

「別に」と言う声が若干うわずって、ぼくはみじめな気持ちになる。
渡辺エミがぼくにとりついてくるのは、あの時のぼくの発言が気にくわなかったからだろう。

クラスのボスの体育会系が言った、小山みたいな陰キャは女とまともに話したこともないんだぞ、という発言に、渡辺エミが反撃したときだ。
「モテるから上とか、異性と仲良くないから下とかで、勝手に人を測るのはダサくない?」
渡辺エミはたいそうな正論をお言いになって、それを聞いたぼくがぼそっと呟いたやっかみも聞き逃さなかった。

思い出したらだんだん腹が立ってきた。なんでだよぼくは独り言を口にしただけだし、それにぼくが言ったことは真実だろ。ぜったいにぼくは謝らない。
「人気者の渡辺さんはぼくみたいなやつが反論したのが気に入らなかったんでしょうけど? 実際口では『モテるやつとモテないやつにどっちが上とかない』と綺麗事言ってたところで美人JK様が非モテには見向きもせずにモテイケメンとしか付き合わないのは紛れもない事実だと思いますが?」
我ながらすごい肺活量と滑舌だと思った。見た目さえよければアナウンサーにもなれたかもしれない。

渡辺エミは苦笑いを抑えようとしながら、うーんと唸る。
「モテとは関係なく人々が対等に扱われる社会であるべきって考えと、恋愛上の個人の好みは別だと思うけど……」

「ほらね、結局口では平等とか言っときながら、非モテよりモテイケメンを選ぶわけです。その時点で渡辺さんはモテと非モテを平等に扱えてないわけですよ、平等と言うなら渡辺さんみたいな美人JKは非モテと付き合って、持たざる者にモテを分配すべきだと思いませんか?」
もうここまできたらヤケだった。渡辺エミにぼくの思ってることをぜんぶ言ってやる。

渡辺エミは、しかしぼくの意見に納得したりはしない。ぼくみたいな非モテと付き合うのはきっと嫌なのだ。
「モテなくても対等だって私は言いたいんだけど……小山くんのアイデアだと結局、モテない人に女性をあてがって平等にしようって言ってるから、女性と付き合えないと対等になれないって思想を余計に強化してしまうと思う」

渡辺エミはぼくみたいなやつの言葉で考えを曲げない。曲げる必要がないからだ。
だけど、ぼくだって渡辺エミが言ってるからって、ぼくの主張を曲げたりはしないのだ。

「でも、小山くんのモテを分配するってアイデアは面白いかも。私は基本的に再分配には賛成だし、そこをふたりで考えてみない?」
意見を曲げる必要のない強者が、突然そんなことを言い出す。なんだ!? もしかしてぼくをそうやって丸め込んで、意見を認めさせるつもりか?

「そ、それだと渡辺さんが非モテと付き合うってことになっちゃうけど?」
ぼくは最大限の警戒心をもって対抗するが、渡辺エミは至って落ち着き払ったまま反論する。
「ううん、そこだけは論理的に納得がいってない」

渡辺エミは身振り手振りを加えながら、例え話を始める。
「お金がないことに困っている人と、再分配に賛成しているお金持ちがいるとします」
「自分が持てる者だということは認めるんですね……」
渡辺エミは、謙遜したら余計に嫌味でしょう、とぼくの指摘に取り合わなかった。

「ここで困っている人が、『再分配に賛成するなら、ぼくを好きになって性愛関係を結ぶべきだ』と主張するのは筋が通らないと思う。恋愛対象は個人の自由で選ぶべきって理念的な理由もあるけど……
「一番の理由は、お金持ちでも体はひとつしかないから。
「再分配って基本的には、たくさん持つ者からあまり持たない者に富を移して、貧富の差を減らすことを言うよね。だったらお金持ちが困っている人に再分配として差し出すべきなのは、たったひとつの自分の肉体じゃなく、たくさん持っているお金ということにならないかな」

渡辺エミはぼくの顔色を伺うように見上げた。
最後まで納得しなかったらまかり間違って付き合うことにならないかな、と脳裏によぎらなかったわけではないが、おそらく逃げられるだけだろう。渡辺エミを泣かせたら、クラスのボスの体育会系がぼくに何をするかわからない。あいつは渡辺エミの点数を稼ぎたいのだ。

そもそもボスが今日ぼくの非モテをあげつらったのだって、渡辺エミがあいつに「小山くんて頭の回転が早いから、予想外の状況にもうまく適応できそう」なんて言うからぼくが目の敵にされたのだ。ぜんぶ渡辺エミのせいだ。

とはいえぼくは感情で意見を曲げるやつなんかではないので、論理的に納得できる意見なら聞く。
「つまり? 持てる者たる渡辺さんは、ぼくに何を分配しようとしてくれるのかな?」

渡辺エミは「んー?」と言いながら、いたずらっぽく口角を上げて首をかしげた。見た目は本当にかわいい。もっと控えめで従順なら100点なのに。

「モテ」
「モテ?」

「小山くんは私のモテを羨ましく思ってくれてて、だから『非モテにも分配すべきだ』って考えたと仮定するね。」
モテを自覚している他人から、はっきり非モテと言われるのは案外グサッとくるものがある。
「だとしたら、私がその思いに報いて分配できるのは、やっぱりたったひとつの自分の体じゃなくて、たくさんあるモテだと思う」
モテがたくさん、他人に分けられるほどあるだなんて、一度体験してみたいものだ。まったく。

「そんなこと言ったって、どうやったらモテを分配なんてできるんだ?」
なんだかこの場限りで言いくるめられて、なにひとつもらえない気がすごくする。

渡辺エミはこっちの気も知らずに楽しそうな笑顔だ。むかつくほどかわいい。
「ちょっといいこと思いついたんだ。小山くんの適応力を見込んで、ぴったりのプレゼントしてあげる」
「本当か?」

「小山くんの知ってる渡辺エミは、その気もない冗談でこんな約束しそう?」
そんな風に聞かれると言い返せない。渡辺エミは約束したことは必ず守るタイプの人間だということは、たぶんクラスのみんな感じている。

「それで……いきなりで悪いんだけど、贈り物したいから住所教えてもらってもいい?」





結局ぼくは渡辺エミに住所を教えた。期待しているとは認めたくないが、渡辺エミが何を贈ってくるのか、興味が抑えられなかった。
だが、一応ぼくが連絡先を交換しておくかと申し出たところ、「それはまた今度でいいや」と断られたのは納得いっていない。

「プレゼントが届くまでのお楽しみだから!」
渡辺エミは別れの瞬間まで嬉しそうに帰っていった。

数日後、ぼくが家に帰ると、玄関前に大きな段ボールが置いてあった。宅配便にしてはあまりに不審すぎるそれにおそるおそる近づくと、
「小山くんへ。この前言ったプレゼントが用意できました! 渡辺」
と、整った字の貼り紙がしてあるではないか。渡辺エミめ、なんちゅう荷物になるものを送ってきたんだ。

ぼくはかがみこんで、段ボールを持ち上げ……
「重っ!」
体積に見合うだけの重量がある箱だ。いったい何をどんだけ詰めたんだ?
仕方なく持ち上げるのはあきらめ、斜めに傾けて底の一辺を引きずりながら家の中まで運ぶ。

疲れて息を荒らげながら、段ボールの厳重な梱包を解く。どんだけガムテープを巻き付けたんだ?
これでつまんないものしか入っていなかったら文句言ってやる。クラスのボスに目をつけられるかもしれないが、にしたってこれはやりすぎな渡辺エミが悪いのだ。

ようやく箱の上部が開けられるようになった。
ぼくは中腰のまま蓋を開いて、段ボールの中を覗き込む。

伊達男とクラスのボスがガムテープで口をふさがれ、体をぐるぐる巻きにされた状態で入っていた。

KingGnu『The hole』についての語りを聴いた

KingGnu『The hole』についての語りを聴いた

前にTwitterで言っていた「オタクの推し語りをひたすら聴いてメモを取り、それを言葉でまとめて後日送るサービス(仮称:出張エモソムリエ)」ですが、なんと希望者がいらっしゃった(!)のでお会いしてきました。

※なお、以下の内容は依頼者の公開許可を取った上で掲載しています。


実際会ってきいてみた

3月、場所は都内のおしゃれなカフェ。
依頼者さま(匿名希望)のご提案で、まずはいっしょにお昼ご飯(ごちそうになりました)。
楽しく雑談しながらお腹が満たされたことで、1対1でも気軽に親密に話しやすい雰囲気になれました。
こういった気遣いをさらっとしてくださったの、とってもありがたい……

そしていよいよ本題。
依頼内容は、「KingGnuの『The hole』という曲に関して、煮詰めまくった感情を抱いているので話を聴いてほしい」というもの。


煮詰めまくった感情、という表現がすごく素敵……
誰かに話したいけどリアルの友達に聴いてもらうのは気がひけるし、
同ジャンルでわいわい盛り上がれるタイプの話題ともまた違う。
そういう熱量のこもった語りを一緒に共有したかったから、「オタクの推し語りをひたすら聴いて言語化するサービス」を始めようと思ったので。

以下、
依頼者の煮詰めまくった、でも普遍的で真に迫った感情のお話を、カニの感じたことを交えつつ書いていきます。


『The hole』


King Gnu The hole


曲への第一印象

依頼者(以下Aさんとする)、今でこそ『The hole』はこの方にとって特別な曲だけど、初めて歌詞を見たときは好印象ではなかったとのこと。
むしろ「苦手なタイプの人が来た……」と引くような気持ちだったらしい。

全然気が合わないタイプ? と聞いたところむしろ逆で、同族嫌悪に近い感情だったそうだ。
この歌詞の「僕」が抱える心性や考え方には身に覚えがあり、「こいつとは長い付き合いだ……」と感じたという。



自分に当てはまるからこそ受け入れがたかったり、心がざわついて落ち着かない気持ちにさせられてしまう歌詞って確かにある気がする。
それだけ自分の心と強く共振する歌詞でもあるから、不穏な気持ちになるのに気になって仕方ないやつだ……

その複雑なアンビバレントな気持ちを、「こいつとは長い付き合いだ……」って表現するとこめちゃくちゃ良いですね。愛じゃん……。
すぐには受け入れがたい同族嫌悪の感情を、ずっと付き合ってきた自分の一部として認めてるのが人としてほんとうに良い。
こういう感情の機微について話してくれたのが嬉しい。


歌詞の展開にみる「僕」の世界認識

Aさんが最初に言及したのが、歌詞全体の運び(展開)。

1番の歌い出しは「世界がいつもより穏やかに見える日は 自分の心模様を見ているのだろう」と始まり、非常にのどかで穏やかな景色を描く。
しかし途中からその雰囲気が一変。世界は非常に不確かで不安定な、恐ろしいものとなる。


歌詞のなかでは、僕とあなたの二者関係が美しく尊いものとして描かれる。
一方でふたりを取り巻く世界は、傷ついたふたりをおびやかす恐ろしい存在だ。

キーとなるのがサビに繰り返し表れる「僕が傷口になるよ」とのフレーズ。

「僕」自身が傷つき、脆く、世界を恐れているにもかかわらず、彼はもっと傷ついたあなたを守ろうとする。
見えてくるのは、「僕」があなたに被さってあなたを恐ろしい世界から覆い隠し、代わりに「僕」が傷を受けるイメージだ。


この「傷口になる」という表現、言われてみれば「僕」の傷つきと弱さを象徴しているかのようだ。

彼は包帯や傷薬になってあなたを手当てしようとするのでも、盾や壁になって世界による侵害を跳ね返そうとするのでもない。
世界からおびやかされたとき、彼は傷をケアする優れた手立ても、傷つけられない強さも持ち合わせていない。

ただ、あなたの穴をふさぐように覆い隠し、代わりに世界に傷つけられることであなたを守ろうとしている。


しかもここに、歌い出しのフレーズが響いてくる。
世界が穏やかに見える日は自分の心模様を見ているのなら、世界が恐ろしく見える日も、同様に自分の心模様を見ているはずだ。

彼は世界が恐ろしく侵害的に見えるほどに心をおびやかされていて、世界に抵抗できないほど脆くなっている。
咀嚼すればするほど、とんでもなく業の深い歌詞だ……


歌詞にみる「僕」の心性

Aさんの感情を最も強く刺激したのが、曲に表される「僕」の心性。

自分も傷ついているのに(傷ついているからこそ)、自分よりもっと傷ついた相手を救いたくなる。
傷ついた相手を守り、手をさしのべることで、相手を救える自分は特別だと感じてカタルシスを得られる。

苦しみや傷つきを打ち明けてきた相手に、「(他の人には無理でも)自分ならこの人を救える、自分ならこの人を見捨てたりはしない」という気持ちをかきたてられる。

相手を必死に守ろうとしているようで実は、相手が本当に守られ癒されているかは二の次。
手をさしのべることそのものに、そして相手に感謝されることに、実は自分が救われている。


ここまで読んで、あなたにも思い当たるところはなかっただろうか。
正直、自分にはめちゃくちゃ突き刺さった。身に覚えだらけだ……。

曲の壮大さで綺麗にパッケージされてはいるけれど、『The hole』の歌詞が示すのはそういった生々しい心のうごめき。
誰もが持つ弱くて自分勝手な心性を、リアルに重厚に描いている。だから、この曲は傷ついた人の心を揺さぶる。
Aさんの心の深くまで迫る曲になったのも、そのためだと思う。


曲に引き出された記憶

Aさんの周りにも、そういった心性の持ち主が多かったそうだ。
中には「救う」行為が上手な人もいれば、逆に下手に手を出して状況を困難にする人もいたという。

そして他ならぬAさんが、自身の「救いたい」気持ちが元で大変な思いをしたこともあった。

※Aさんはそれらの思い出についても語ってくれたが、非常にプライベートな話なのでここでは割愛する



興味深かったのは語りの内容だけでなく、語ってくれた理由。それはAさんの音楽鑑賞のあり方に関係する。

Aさんは音楽を楽しみ歌詞を味わうとき、曲や歌詞そのものを細かく分析したり考察するタイプではないそうだ。

むしろ、曲を聴いて引き出される自身の記憶や感情を、曲を通して味わう鑑賞方法をとるという。
だからAさんは、曲によって引き出されたそれらのエピソードを語ってくれた。

Aさんにとってはそれらの記憶もまた、『The hole』に抱く感情の一大切な部分なのだと思う。


歌詞の分析と考察が大好きな私とは全く異なるたしなみ方である。
そこには私が想像しえなかった、深くて豊かな鑑賞の世界があった。

自分とは違う鑑賞方法の人の考えを、ここまでじっくり聴ける機会ってなかなかない。
新しい発見に満ちた、とても刺激的な時間だった。



また、それだけ鑑賞方法が違うにもかかわらず、Aさんが語りの相手としてカニを選んでくれたのも興味深い。

Aさんによると、「カニブログを読んでいて、この人なら私の話を『こいつ何言うてんねん』と思わずに聴いてくれるだろうなと感じたから」とのこと。

確かに、この方の話は整然として筋が通っていたし、自身の感情を大切に丁寧に表してくれていたので、プライベートなエピソードでも受け止めやすかった。
もちろん「何言うてんねん」と思う瞬間は全くなかった。

これらは明らかにAさんの美徳によるところが大きいが、もしかしたらふたりの相性にも助けられていたかも。

鑑賞方法や考える内容は違っていても、考え方の核や、大事にしている信念が近かったのかもしれない。


その心性を認めて愛する

Aさんが対人支援職のプロとして特に強調されていたのは、
「相手を救うことで自分を特別だと感じられる心性」は誰でも持ちうるものだということ。

そして、この感情は決して悪いものではないということ。



客観的な人だろうと謙虚な人だろうと、この心性は多かれ少なかれ、いつでも、誰でもが持ち合わせているものだ。

だからといってこれは無くすべきものでも、全く出さないようにすべきものでもない。

なぜならこの心性は「人を助けたい」「困っている人を見捨てられない」という人間の善意とも密接に繋がっているから。
人が人とよい関係を築いていくためには、むしろ大切な機能ですらある。


重要なのは、そんな心性が自分の中にあることをきちんと自覚して、状況に合わせて必要な分だけ出せるようにすること。
認めまいと自分から切り離したり、完全になくしてしまおうとするとかえってよくない。

「自分ならこの人を救える」と思ってしまうこの心性は、自分の愛すべき一バカな面として、認めて愛してケアしていくしかないのだ。



Aさんが話してくれたなかで、印象的な言葉がある。
「この曲が聴けるようになってよかった。自分の心性を受け止められた(ということだから)。……ときどき切り離したくはなるけど」

曲を通して自分の心性に、そして葛藤に向き合っていける。
すごく素敵な鑑賞方法だし、素敵な人間性だと感じた。そんな話を聴けてよかった。


おわりに

「オタクの推し語りをじっくり聴いてメモを取り、それを言葉でまとめて後日送るサービス」
ご希望があれば今後もやっていきたいなと考えています。

今のところ、交通費+場所代(例えばサイゼリヤで話聞く場合、そのお会計)で承ることをイメージしています。

ご興味あればTwitterやブログコメントで気軽にご相談いただければと思います。


余談:プロの知的誠実さめっちゃ好き

ブログを書くにあたってAさんとご相談したことで、「さすがプロ~!」と思ったエピソードがあったので自慢します。


Aさんの語りの文字起こしを送り、内容の誤りやブログを書く上での注意点について相談していたときのこと。

元々の語りではとある専門用語(対人支援に関連する用語)が使われていたのですが、
「一般の方が専門用語の解説を読んで、伝えたいことの本質を理解してくれるか」
「その専門用語について検索してたどり着いた人がブログを読んだとき、どういう理解をするか」
を考慮した結果、専門用語を使わずに別の表現に置き換えることにしました。

三者による誤用や誤解を防ぎつつ、私たちが共有した感情の機微をなるべくわかりやすく伝えるための判断です。


正直言うと私だけでは「専門用語使うから、参考図書を調べて解説を引用しよう」くらいの対応までしか思い浮かんでいませんでした。
一般の読み手がどう理解するかまで考えが及ぶところさすがプロ……尊敬しかない。

カニこういう知的誠実さのエピソードめちゃめちゃ大好きなので、気づいたらぜったい自慢したくなってしまう。

ミイラ展に行って、研究者の価値観をかいま見た

国立科学博物館で開催中の『特別展「ミイラ」 永遠の命を求めて』へ行ってきた。
ミイラ展の会期は来年2月24日まで。

世界各地のミイラが展示され、地域ごとの歴史やミイラの成立要因などが詳しく解説されていたり、
自分がミイラになれるフォトスポット(!?)があったりと、見て楽しむに事欠かない内容でした。

ミイラってエジプトで作られたものしか知らなかったけど、手を加えなくても自然にミイラ化することもあるんですね。
あと即身仏は言われて見れば確かにミイラだった。



そして個人的に興味深かったのは、展示から見えた学者たちの価値観。

今回はその話をします。


撮影禁止と死者の尊厳

国立科学博物館は常設展示のほとんどが撮影OKでほんとすごいんですけど、ミイラ展に関しては基本撮影禁止だった。

撮影禁止自体は他の博物館でも珍しくないけど、興味深いのがパンフレットや公式サイトの写真。

https://www.tbs.co.jp/miira2019/
一部のミイラの写真が、シルエットになっている。


これは特別展で販売するグッズでも徹底していた。

ミニチュアミイラガチャなる攻めたグッズもあったけど、ミニチュア化されてるのは布でくるまれて顔の見えないミイラ包みや、骨だけになって顔のわからない装飾頭蓋骨。

(……関係ないけど「ミイラ包み」って名前のインパクトすごくないですか?)

顔や体が見えるミイラは写真やグッズでは公開せず、展示でのみ見せるポリシーのようだった。


普通の博物館だと撮影禁止でも図録や写真は公式グッズとして売ってたりして、
撮影禁止の理由はグッズ販売の売上のためかなとか、撮影者のマナーや所有者との権利問題が原因かなとか思うんだけど、ミイラ展は違う。

明らかに、死者の尊厳に配慮するためだ。


言われてみれば、ミイラも元は生きた人間だったのだ。
いくら昔の人とはいえ、プライバシーを無視して写真をばらまいたり勝手にグッズにするのは、尊厳を侵害する行為かもしれない。

でも一方で、ミイラについて人々が知識を得る機会を提供し、研究を推進し、貴重な史料として後世に残すことは必要だ。学術的な目線から見ればそうだろう。

本草学者と研究の未来

ミイラには、ツタンカーメンのように人工的に作成されたものと、自然環境によってミイラになったものがあるらしい。

中でも今回異彩だったのが、日本の本草学者のミイラ。なんとこの人は、自分でミイラになった人だ。


この人は学問的な探求心からミイラの成立要因を研究し、それを自分で実証してみせた。
遺体の腐敗を防ぐため、死の直前に大量の柿の種子を摂取していたという。
(実際、種子に含まれるタンニンには防腐作用がある)

そして、弟子に対して「機会があれば墓を掘り返す(遺体がミイラ化しているか確認する)ように」と言付けて世を去ったらしい。


エピソードめっちゃ渋いな……。

学問的な探求で、自らの身体を使って賭けに出るのがまずすごい。
胃潰瘍の原因を証明するためにピロリ菌飲んだ人*1は聞いたことあったけど、もはやそのレベルも超えている。


結果を未来の研究者に託していったのもアツい。

結果が明らかになったときには自分はもう亡くなっていて、結果を知ることはできない。
それでも賭けられたのは、まだ見ぬ人々が意志を引き継いでくれると信じていたから。
自分の実証が未来の研究の糧になると信じたから。
自分の理論の正しさを証明したい、強い追究心があったから。


そして、賭けにみごと勝っているのが一番アツい。

彼はもはや結果を知る由もないけれど、実証は成功して理論どおりにミイラになれた。
そのミイラは博物館に保存され研究され展示され、後世の学術研究に貢献している。

死後に理論の正しさを証明されるのは、科学が多くの人の手に引き継がれていくからだ。
未来の人々が、その理論を忘れずに受け継いで、研究し続けてきたからだ。


先行研究を踏まえることを「巨人の肩に乗る」って言うけど、肩に乗ってもらうことは巨人サイドにとっても希望の光なんだなと思った。

学術っていいな。


学術調査と異性愛主義

研究者がこれまで常に格好良い価値観を持ってたかといえば、そんなことはない。
昔の研究者の価値観に、うーんと思うところもあった。


それは、オランダのウェーリンゲメンで発見された2体の湿地遺体。
今回の特別展のパンフレットでも、表紙を飾っている象徴的なミイラだ。

この皮膚だけのミイラ2体は腕を組んだ状態で発掘され、当初は大きい方が男性で小さい方が女性と推定されていた。
そのため、当時は「男女のカップル」と言われていた。

しかし、後に小さい方にもあごひげが見つかり、男性と判明。
残念なことにDNAの保存状態が悪いため、2人がどんな関係だったのか・なぜ一緒に埋葬されたのかは不明だという。


……と、さらっと受け入れてしまいそうになるけど、よくよく考えるとナチュラルに異性愛主義かましてるなと気づいた。

大きい方と小さい方が腕組んでる→男女だ!→男女が腕組んでるからカップルだ!
みたいな短絡的な発想でこのミイラが「ウェーリンゲメンのカップル」って呼ばれてたの、発想が思春期の中学生のそれじゃない?

あと、なんで両方とも男性やと発覚した瞬間「残念ながら2人がどんな関係だったのかは全然わからないですね」って急に冷静になるねん。
さっきまでカップカップルって囃し立てとったやないか。



もちろん、現在の研究者の言ってることに落ち度はない。
DNAの保存状態が悪いから、血縁関係の有無もわからない。2人がどんな関係でなぜ一緒に埋葬されたのか、わからないのは本当だ。

カップルだった可能性もあるけど、それ以外の関係だった可能性もある。
わからないことを不用意に言い切らない姿勢は誠実そのもの。


むしろ、昔「カップル」と呼ばれてたのがちょっと怖いなと思った。
男女だとしてもどんな関係かは何も明らかになっていないのに、男女という理由で何の躊躇もなくカップルだと決めつけられてしまっていた。

考古学・史学系の研究者でさえ悪気のない先入観をさらりとかましてしまう。それが学術的な目線にも大きな影響を及ぼしていて、しかもたぶん当人にはその自覚がない。
内面化してる価値観の怖さだと思う。

そういえばウェーバーも、我々は自分の価値観から完全に自由にはなれない的なこと言ってた。うろ覚えすぎる。

だからこそ、自分の持つ価値観を自覚して、できる限りバイアスが掛からないように注意するのが大事だなと思う。


現在の考古学研究では、昔に比べてセクシャルマイノリティとかジェンダーとか、そういう価値観もアップデートされてるんだろうか。
されてるといいな。


おわりに

とにかく見応えがあって、しかもミイラから各地の死生観や文化まで丁寧に考察されてる興味深い展示だった。
近場で興味のある方はぜひ見に行ってほしい。
まだまだ2月末までやってるみたいだし。
https://www.tbs.co.jp/miira2019/ticket/

しかも音声ガイドが大沢たかおさん。大人気。

あと公式グッズの攻め具合がちょうどよくて、エジプト神のかわいいトートバッグもあれば、ミイラ包みのシュールな巾着袋もあって最高。


博物館めっちゃ楽しいなと思ったので、また別の展示も行ってみたいです。

*1:バリー・マーシャル

神様Discoを踊り、そのヤバさを感じてきた話

神様Discoを踊った話

初めて観たときの畏怖

RADIOFISHの『神様Disco』を初めて生で聴いたのは、2019年のワンマンライブ『NIRVANA』だった。


そこで生歌を聴き、演出を生身で体験し、彼らのダンスを初めて目にしたとき、その振り付けになぜか言い知れぬ恐怖を覚えた。

めちゃくちゃ面白くてキャッチーでポップで、ゲラゲラ笑いながら釘付けになったのに、同時に背筋がぞわぞわしたのだ。


恐怖というよりは、畏怖と呼ぶべき感情かもしれない。


RADIOFISH『NIRVANA』2019 ライブレポートのようなもの - 蟹を茹でるでも、こんな感想を書いていた。

「神様Disco」の頭でDJみたいにスクラッチする振り、激ヤバだった。完全に脳を神様に支配され、精神を神のDiscコレクションの1枚にされスクラッチして遊ばれている、そして人々もそれを喜んで受け入れている、みたいなニュアンスを感じて史上1番ヤバかった。


このヤバさの源泉を、何とか読み解こうとした。

歌詞を見ながら何度も曲を聴いて、振り付けを頭で反芻し、『神様Disco』を理解しようとした。

だが考えても考えても、否、考えれば考えるほど、『神様Disco』はわけがわからなくなっていった。
そういう魔曲なのだ。


もはや私は分析も考察も諦め、「理解の及ばぬ高みにある大きな存在」として『神様Disco』を受け入れるほかなかった。
まあそういう向き合い方もありかな、と思った。


だが、そんな私と『神様Disco』の関係を、大きく転換する出来事があった!
その名も、神様Disco会である!

神様Disco会とは

先日フォロワーに誘われ、RADIOFISHファン有志で『神様Disco』の振りを覚えて踊る会に参加してきた。
オタクの行動力って侮れないな……
(主催者さま、先生、参加者のみなさん誠にありがとうございました)


会ではダンス経験者の方(彼女もRADIOFISHファン)に先生になってもらい、振り付けを頭からひとつひとつ丁寧に教えていただいた。

それが非常に分かりやすく親切で、教えを乞い、自分でもおっかなびっくり踊ってみながら、私はようやく『神様Disco』のダンスで何が起きてるのかを知った。


今までいくらダンスを見て教わろうとしても、「何回説明されても何が起こってんだかさっぱりわからない」状態がデフォルトだったので、
今回「あっ、これがこうなってそれしてるんだ~!」とわかったのが感動的な体験だった。


なお、わかったからといってうまく踊れるわけではない。これはひとえに私の運動能力の低さゆえです。


レクチャーを受けて振りを覚えたあとは、参加者みんなで無限神様Discoを実施。

無限神様Discoとは、無限リピートされる『神様Disco』にのってひたすら踊り続ける、ほぼスーフィーの修行である。

無限に踊るのが『神様Disco』でよかった、だってこの曲にはダンス休憩タイム*1があるから……


最後は汗だくでヘロヘロになりながら、なんとか振り付けを覚えた。
ラストで全員一列になり、脳をスクラッチする「あのポーズ」をやったときの達成感は半端なかった。
あれは本当に代えがたい体験。


ちなみに筋肉痛は3日治らなかった。

振り付けで感じたヤバさの話

今までいくら考えても理由がわからず、考えるほど泥沼にはまっていった『神様Disco』について、この会で初めてそのヤバさを掴めた気がした。


そう、FISHさんも『Make ya Groove』で言っていたではないか。

それが何かを考えているうちに時経つなら
動き続けて Don't think feel it


『神様Disco』を理解(わか)るために必要なのは、考えることではなく、踊ることだったのだ!!


そしてここからはRADIOFISHオタクの妄言なので、話半分どころか1%くらいで聞いてほしい。なんなら聞かなくてもいい。

「振り付けに対してこういうヤバさを感じた」という話を勝手にしていく。















大丈夫?
ここから先は意味のない錯乱しかないよ















よし。錯乱するか


まず、「無限の力を手に入れるんだ」でスキマス全員が中央に引き寄せられていくのがヤバい。

つまりこれは、無限の力とはすなわちNAKATAであるという観念なのでは?


力を手にしようと求めることは、イカロスが太陽に近づくのと同じように、NAKATAに近づく行為でもあるのだ……


そして「過去に学び明日につなぐ」からの振りも良い。両腕と足を上げ下げするカクカクとしたダンスは、まるで機械兵のよう。

「涅槃の境地へ」でガクガクと振動しながらひざまずいた彼らは、NAKATAの「神様Disco」の一言で動き出す。

なんとなく『天空の城ラピュタ』のロボット兵を連想した。
彼らは王の再臨に立ち会い、正統なる王の言葉で再起動する。


あるいは、「神様Disco」という特殊なコードによって、脳をハッキングされてしまったのかもしれない。そんなイメージを抱いてしまう。

そう考えると、ピロピロ音部分の首と肩を左右に揺らす振り付けや、腕と脚を激しく振るダンスも見え方が変わってくる。


あれ、どことなく動作確認っぽくないですか?
アクション系ゲームで初めて使うキャラの動きを確かめるために、とりあえず色んなボタンやスティックを小刻みに押してみるやつ。


もしかすると、彼らの脳をハッキングしたNAKATAが、スキマスたちを操作しながら同期を図っていたのかもしれない。

頭上でディスクを回し、左手で仏の印を結ぶ「あのポーズ」は、同期が完了して彼らの精神がNAKATAのDiscコレクションの1枚となったことを示しているよな気さえしてくる。


「パッとハッと」からのところは、緩急がついてて指先の動きが優雅でセクシーで、単純に好き。


中盤のNAKATAの語りでは、全員が彼のほうを向いてひざまずく。

聴衆の脳内に直接語りかけながら中央前方に進み出るNAKATAは、来迎という言葉でしか表現できない。もはや御神体をも超越している。


語りのあとのピロピロで、マリオネットのように両腕を吊り下げたあと、胸でヒットを打つところも大好き。

真の意図は神秘のヴェールに包まれているけど、あれは彼らが御神体に心臓を捧げた証だと勝手に思っている(ヤバいファンだな)。


しかもここからバッキバキの盆踊りにつながるの天才じゃない? ディスコサウンドと盆踊りの相性がサイコーなこと、一体どこで知ったんだ。

特にFISHBOYさんの盆踊りは神がかってるので一度は見るべき。円盤を待とう。


そしてやはり、ラストを「あのポーズ」で締めくくってくれるのがアツい。ライブ会場で一緒にやりたい。

みんなで御神体のDiscコレクションの1枚になろう。NAKATAにDJしてもらおうよ。





ここまで読んでくださった皆さん、そして「神様Disco会」の皆さん、本当にありがとうございました。

*1:NAKATAの語り部

ウーロンハイとぼっち飯

言葉の話です

コンビ歴が長くなってくうちに、だんだん相方の習慣や口癖がうつってしまうやつ
あれ、ハチャメチャに良いですよね……

ちなみにオリエンタルラジオですが、
昔あっちゃんに「日々のできごとをメモするといいよ」とすすめられた慎吾さんが素直に日記をつけ始め、
そして10年たった今でも日記を続けているというエピソードがあります。
(ちなみに当の中田敦彦はとっくに日記をやめたらしい)

言葉にもそういうやつがあります。意味が相方に移るやつ(どんな導入だ)




ウーロンハイってなんだ?

ウーロンハイ、Wikipediaの解説は以下。

ウーロンハイ(烏龍ハイ)とはカクテルの一種で、焼酎等のスピリッツをウーロン茶で割ったアルコール飲料。分量(レシピ)には正確な定義はない。まれにウーロンサワーとも呼ばれる。

焼酎のウーロン茶割りだが、愛称として「ウーロンハイ」と呼ばれる。
売り出す当時人気メニューだった酎ハイにあやかって名付けられたとも言われているらしい。



でも考えたらおかしくないですか?

元々、「ハイボール」はウイスキーソーダ割り。
語源はいろいろあるが、一説には炭酸の丸い泡が上がってくる様子を指して名付けられたとも言われる。

ハイボールのベースのお酒をウイスキーから焼酎に変え、日本人向けにしたのが「酎ハイ」=焼酎のソーダ割り。



だとしたら、「ウーロンハイ」はウーロン茶のソーダ割りであるべきじゃないですか?

焼酎のウーロン茶割りは、「酎ロン茶」とかになるべきじゃないですか??


脱退と加入繰り返した結果、もう「ハイ」の要素完全になくなってもうてるやん。
酎ハイで長いことやってきたせいで、ソーダが持ってた「ハイ」が完全に焼酎に伝染してもうてるやん。

なんかそれはそれでアツいですね。グループの歴史的に





いや酎ロン茶はさすがにネーミングがダサい


ぼっち飯ってなんだ?

これも意味が相方にうつってしまったパターンの言葉。

元々、宗派に属さず単独で放浪する僧侶を「独り法師」と呼んだ。
それがなまって「ひとりぼっち」となり、頼る人がいず孤独な状態を指すようになった。

さらにそれが「ぼっち」と略され、一緒に行動してくれる人がいない状態を指す俗語になった。


という経緯によって、「ぼっち飯」は「友達や仲間と一緒にではなく、独りで食事をすること」を意味するらしい。



でも語源考えたら「ぼっち飯」って精進料理であるべきじゃないですか?
法師飯ですよ、だって。

ていうか普通に「独り飯」ではいけなかったのだろうか……
その呼び名では悲しすぎたのだろうか……

俺の注いだ酒、あるいはお茶が入りました

「俺の注いだ酒が飲めねえのか?」って言葉、めっちゃ面白くないですか?
いや実際やったらパワハラだしそんなこと言う上司は超つまらんのですけど、言葉の構造を考えると笑える。


だって、手作りチョコレートさえ「溶かして固めただけ!」と手作りしたこともないやつに茶化される世の中ですよ?

チョコレートタブレットを細かく切り刻み、
お湯が入らないよう焦がさないように湯煎して、
生クリーム入れたり味付けして、
口どけがよくなるように注意深くテンパリングして、

そんだけ手をかけても「溶かして固めただけ!」と言われる世の中で。


自作パソコンさえ、自分でパーツ選ばずにキット買って作ったら「組み立てただけじゃん」と言われかねない世の中で。


杜氏が仕込み!
酒屋が販売し!
運送業者が運び!
飲食店が仕入れ!
店員がグラス用意して席まで持ってきた酒を!

ただグラスに注いだだけで、「俺の注いだ酒」と堂々主張する。
その自己肯定感たるや!


現代人に必要なもの、そういう無根拠で途方もない自信じゃないでしょうか。
あんまり大して何もしてないけど、自分がちょっと関わったというだけで、そこには価値が生まれるんだという自信。

配偶者が家中のごみをまとめて分別して用意したごみ袋を、外に捨てに行っただけで「自分も家事ちゃんとやってる」と言い張る図太さ。
大型プロジェクトにちょっと口挟んで引っかき回しただけで「あれは俺が作った」と言い張る豪胆さ。

やりすぎると熟年離婚フラグになりそうですけど、適度にそういう自意識を持てれば精神を病まなそう。


いやそれにしてもさすがに飲み物注いだだけで価値が生まれるの、人類史上キリストと釈迦くらいでは? 知らんけど


こういう話すると時々、
「大丈夫? そういうムカつく上司いた?」
「特定の誰かに恨みでもある?」
と心配されるけど、幸いそういう絡まれ方はされたことない。されたら恨む。



「俺の注いだ酒」と真逆で面白いのが、「お茶が入りましたよ~」って言い回し。

いやそんな、お茶がひとりでに入ったみたいな言い方する??
お茶淹れてくれたのあなたですよね??


生産者が作り、茶屋が販売したお茶を。
自分で手配して、
急須や茶器も手入れして、
茶葉と熱湯を用意して、
丁寧に注いで運んできてくれて。

そこまでやってくれたのに自分の手柄を一切主張せず、「お茶が入りました」と言ってみせる謙虚さ。


めちゃめちゃ尊いな……
でも一方で、ご自身の無償労働をそんなに透明化しなくても、と思う。
たぶんめちゃめちゃ努力してるのに、それを表に出さずに「皆さんのおかげです。運が良かっただけです」「私は大して何もしてませんから……」とか言っちゃうタイプな気がする。
もうちょっと実績アピールしてくれていいよ……



自己肯定感ちょうどいいやつおらんのか??

show-heyさんとFISHBOYさんがもし中田崇め曲を書くなら

友人からリクエストをいただいたので、書こうと思います。今回はひたすら空想と妄想のお話

show-hey & FISHBOYが中田崇め曲を書くなら

中田崇め曲とは

中田崇め曲は、文字通り「中田を崇める曲」である。
RADIOFISHの『PERFECT HUMAN』が代表的。

というかRADIOFISH以外にやってるグループないと思う。いわばRADIOFISHの独占市場。今後市場が大きくなったら他社も参入してくると思う。参入?

ボーカルの藤森慎吾が、その高速ラップと美しいハイトーンボイスを中田を褒め称えるためだけに使う。

スキルマスター(ダンサー)であるshow-hey、FISHBOY、SHiN、RIHITOの4名が、その世界的ダンススキルとコレオ・演出力・表情筋を中田神格化のためだけに使う。

特にFISHBOYさんの真剣で恍惚とした表情がやばすぎるので、ぜひRADIOFISH UNIONの動画を見てほしい→LIVE【RADIOFISH】 - YouTube


中田敦彦がメロディラインのリリカルな歌詞を書き、藤森慎吾がラップのリズミカルな歌詞を書く役割分担が基本形態。

それらの楽曲については以前記事を書きました。これは自分で気に入ってるから何度でもリンクを貼っていくぞ

スキマスが崇め曲を書き始めた

しかし近年、スキルマスターが中田崇め曲をプロデュースする事例が見られ始めた。

いや、すごくない? だって中田敦彦は小説『芸人前夜』を書いたりネタを書いたり、元々リリカルな人だった。藤森慎吾は武勇伝時代からリズム感の天才で、常に人を褒め称える芸風を貫いてきた。それに何より、ずっと中田敦彦の相方だった。

でもスキマスはRADIOFISHを結成するまで、普通のちゃんとしたプロダンサーだったわけです。中田敦彦の「歌って踊って紅白に出る計画」を承諾してくれるほどノリがよいとはいえ。


それがRADIOFISHを組んで5年で、まさか自発的に中田を崇める曲を書き始めるとは……

環境の力ってすごい


でもなんか気持ちはわかる気がする。だってせっかくRADIOFISH関連のお仕事するなら、誰だって一度は中田崇め曲作りたくないですか? ねえ? 絶対他でする機会ないよそんな仕事。そう思うでしょう?

SHiNプロデュース『太陽神』

スキマスによる中田崇め曲の端緒となったのが、SHiNプロデュースの楽曲『太陽神』。

この曲、チームしゃちほことのコラボ楽曲である。

チームしゃちほこ×RADIOFISHのコラボシングル『BURNING FESTIVAL』のカップリング曲としてリリースされた。

チームしゃちほこメンバーの、伸びやかでパワフルでかわいい歌声が魅力的。
女性アイドルの多彩な声が入ることで、朗らかな祝祭ムードが一層増している。
中田崇め曲でいちばん明るくて爽やかかも。

太陽神

太陽神

  • チームしゃちほこ×RADIO FISH
  • J-Pop
  • ¥250


コラボ楽曲、しかも表題じゃないやつでしゃちちゃんたちに容赦なく中田崇め曲歌わせるSHiNくん、確実に順調にRADIOFISHに染まってきている。

オリラジ風に言うなら「育ってる」。


ちなみに、SHiNさんは現在までに

の4曲をプロデュースしている。

彼の素晴らしいのは、4曲とも全く毛色が異なることだ。
曲調も歌詞のテーマも異なる。
共通する癖も一見ではわからない。いずれも情景描写が上手くて構図が綺麗なので、視覚イメージから歌詞を作る人なのかな、と感じるくらい。


おそらく彼は、テーマを表現するために必要な要素を、相応しい様式で的確に組み合わせる能力に長けた人なのだと思う。

たぶん会議であまり自分の意見は話さないが話の流れはよく理解していて、議論が行き詰まったときに的確なアイデアをくれるタイプ。(見てきたように空想を語るファン)


元々自分のうちに「言いたいこと」や「美学たる表現方法」が決まっていてそれに則るタイプがshow-heyさんやFISHBOYさんだとすると、

SHiNさんは設定した外的なテーマを咀嚼して自分の中に落とし込み、文脈を踏まえて適した歌詞や振り付けを作るタイプ、のような気がする。


『太陽神』の歌詞を見ていても、彼が「中田崇め曲」というものの輪郭をよく捉え、先例を踏まえて書いていると感じた。
歌詞→ https://www.uta-net.com/movie/253550/

全体を通して、藤森慎吾へのリスペクトを感じる。


例えば、『PERFECT HUMAN』の印象的なラップをサンプリングしている点。

藤森慎吾の作詞を尊重しながらも、さりげなく「彼」を「神」に読み替えている。いつの間にか、中田が神の領域に至っている!?
なぜ書き替えたのか、いろんな疑問と感情が湧いてくるポイント。(でももしかしたら特に何も考えてないかもしれない……)


また、以下の歌詞は『進化論』や『新時代』の文脈を踏まえ、彼なりの言葉で表現しなおしているように見える。

希望を手にして立ち上がれ 困難な道すらぶち壊せ
時代の流れに逆らって 新しい大地を切り開くんだ


太陽・楽園・導くなどのワードを用いて『BURNING FESTIVAL』と世界観を合わせつつ、
今まで取り扱ったことのない『太陽神』という宗教的モチーフを選ぶ感覚も鋭い。

「Shaman」をキーワードにpray・six senceなどの関連語を含めつつ、shの音で頭韻を踏む作り込みも好き。一方でサビ後に突然オノマトペを大連投するハツラツさも原始宗教っぽくて大好きだ。

RIHITOプロデュース『神様Disco』

スキマスによる中田崇め曲は『太陽神』だけではない。最新アルバム『SPACEMAN』に収録され、ファンがどよめいたのが『神様Disco』である。

ヤバすぎて同じメンバーでさえ震え上がり、しばらくは皆めちゃめちゃ気になってるのに誰も話題に出せなかったらしい
(ちなみにそういう話題を英語では "the elephant in the room" と言うそうです。部屋に象🐘がいる)


Twitterにて #神様Disco で検索すると、ヤバすぎて混乱しているファンやハマりすぎてバグっているオタクがほぼ無限に見られるけどあんまりおすすめはしない。ヤバいから。
何の先入観もない状態で、まずは原曲を聴いてもらったほうがいい。

神様Disco

神様Disco

  • RADIO FISH
  • J-Pop
  • ¥250

その上で振り付けありのパフォーマンスを見ると、かなり控えめに言って8倍はヤバい。


余談ですが、神様Discoでググるtofubeatsさんの『ディスコの神様』が最初出てくるかもしれない。筆者のスマホでは何回も検索してるうちに、Googleが空気を呼んでちゃんと『神様Disco』をトップに出してくれるようになった。勝った


『神様Disco』はほぼ言葉で説明するのが不可能な曲だ。この曲を題材にしたブログでいちばん好きなのが、かがりさんの書かれた記事。

リスナー、メンバー、ファンの混乱とざわめきが真に迫る感想。これ読んでもらえれば我々のハイパーウルトラカオスコスモス体験が臨場感たっぷりで伝わると思う


良い神も悪い神も、どころか人間も動物も自然も人工物も、等しく神様になってディスコで踊りラブラブすチュッチュする、というコンセプトの歌
(たぶん。RIHITOさん本人がライブでそういう趣旨のことを言っていたが、あまりに高次元すぎてちゃんと理解できてるのか不安)


何もかもを区別しない楽天的な博愛主義は、さながら「空」という概念のない仏教思想。極彩色の混沌こそがこの世界なのだ。とにかく楽しそう。

分析しようとすると心の中のウィトゲンシュタインが「語りえぬものについては沈黙しなければならない……」と耳元でささやいてくる。
言語化不可能性こそ『神様Disco』の神髄なので難しいことは考えず、宇宙猫みたいな表情で聴くのが楽しい。


(空想)他のスキマスが崇め曲を書くなら

友人からのリクエストは「show-heyさんとFISHBOYさんが中田崇め曲を書くならどんな曲になると思う?」だったのに、本題に入る前に3000字書いてしまった。ペース配分がグダグタだけどこのまま行くぞ!

show-heyさんの場合

まずはスキルマスターのリーダー、show-heyさんが中田崇め曲を書いたら。
show-heyさん自身のキャラクターや、これまでのプロデュース曲のイメージを元にどんな曲になるか空想していく。


空想の元にしたキーポイントは以下の3つ。
①グループへの帰属意識=忠誠度
②二者間関係の重視
③都会的ナンバー

①グループへの帰属意識

まずは、show-heyさんの人柄を手がかりに。


彼は非常に仲間思いで、所属グループへの帰属意識が強い。
戦略ゲームのキャラクターだとしたら、たぶん何だかんだ言いながら決して裏切らない人だ。自律的な行動をとるわりに忠誠度が高いキャラ。ソルジャーよりはリーダーまたはサブリーダー型。

以前所属されていたGKKJ-CREWのことを卒業後も熱い思いで見守っていらしたし、ダンサー・振り付けを務めるw-inds.さんとRADIOFISHとして共演した際には感極まっていた。

しかも中田敦彦のことをナチュラルに「うちの御神体」と呼び、初見のファンをざわつかせたりする。


そんな彼が中田崇め曲を書くなら、中田敦彦だけでなくRADIOFISH全員をテーマにするんじゃないかな。

中田敦彦を神に戴く無敵の軍団RADIOFISH。最高のシャーマンと最強のソルジャーが凱旋し、民衆たるファンを導く……

絵画で言うと『民衆を導く自由の女神』みたいな。あるいはジャンヌダルクみたいな。旗を持った聖女のNAKATA。見たい。

②二者間関係の重視

続いて、既存のshow-heyプロデュース曲を手がかりに。

彼は今までに4曲をプロデュースしている。

  • Trip Drop Town
  • Stepping on the fire
  • Gambler
  • SPACEMAN

いずれも、語り手(自分)と相手の関係性を色濃く匂わせる、セクシーな曲だ。
慎吾曰く「show-heyはどの曲でも女の子を口説こうとしてる」。
そんな「俺」と「君」の文脈に、ライブではRADIOFISHとファンの関係性を重ねて歌ってくるから厄介なのである(これは賞賛です)。


彼の描く二者間関係をひとことで示すなら、 "Dive" だろう。
いつの間にか相手にのめり込み、夢中になっていくさま。ふたりきりの世界への没入感。


この関係性への感覚が①で述べた「RADIOFISHとファンたち」を描く方向に向かったら、最高にクールで血が沸き立つ曲になると思う。

だがこれが「語り手たる自分と神たる中田敦彦」の二者間関係に向かったとき、ほんとうにえげつないものが出来上がるはずだ。


一度視聴したくらいでは切なくてチルな楽曲に聞こえるのに、ずっと聴いていると「えっこれ神を信じてるとか崇めてるどころじゃなくて、もはや神と目が合っちゃった人じゃん……」と思わせてくれる、底知れぬヤバい曲を作ってくれそうな気がしてる。
クトゥルフ

個人的にはそういうの超聴きたいし見たい。FISHさんの表情がどうなるのかも気になる。


自分で言って気がついたけど、御神体NAKATAって「この世でいちばん目が合いやすい神」だ。
いつもサングラスかけてるのは、シャーマン以外の訓練受けてない人間が深淵覗いちゃうのを避けるための、御神体の配慮なのかもしれない。

③都会的ナンバー

show-heyさんといえば、都会的でおしゃれなナンバーと、心情を吐露するような切ない振り付け。

おそらく中田崇め曲でもアーバンでスタイリッシュなナンバーになると思われる。……アーバンでスタイリッシュな崇め曲って何? あまり冷静に考えてはいけない。


個人的に楽しみなのが振り付け。
彼の振り付けはトラックの音だけでなく、歌詞を鮮烈に投影した印象的なものが多い。切ない歌詞だと振り付けを見てるだけで心がかき乱されるくらい。

米津玄師『Lemon』の踊ってみた動画は珠玉の作品。振り付けの叙情とダンスの技量が踊ってみたの範疇超えてる。


こんな才能のある人が、例えば切ない曲調の中田崇め曲の作詞と振り付けを両方こなしたら、いったい何が起きてしまうんだろうか……
生で見たら号泣しながら「NAKATA~!」って言ってしまいそうな気さえしている。

FISHBOYさんの場合

次に、スキマスであり中田さんの弟でもあるFISHさんが中田崇め曲を書いたら。


空想の元にしたキーポイントは以下の3つ。
①マイノリティへのフォーカス
キリスト教の造詣
③深く考え抜く姿勢

①マイノリティへのフォーカス

FISHBOYさんからは、マイノリティへの親しみを感じる。

先日放送されていたwebラジオ番組『ビートコネクション』でも、ダンサーとして食べていこうとすることで感じた周囲の冷たい目線や、ダンサーが社会的に少数派であることについて触れられていた。


そんな彼が中田崇め曲を書くなら、マイノリティをエンパワメントする要素が入るのではないか。
その場合純粋な崇め曲というより、むしろ「メタ曲」に近い歌詞になるだろう。


「メタ曲」とは、RADIOFISHとしての自分たちを歌う曲を指す。語彙の出典はこちらのブログ。

RADIOFISHの曲においてNAKATAがどのように語られているのか? をくまなく分析した力作。このブログを読んでくれてるような人はたぶんかなり好きな記事だと思う。


安定した生活ではなく、芸能の道を選んだ6人。
アーティストでもお笑いグループでもない、独自の路線を走る6人。
巨大な組織と相対しながら、自分たちらしく活動しようともがく6人。

そういったRADIOFISHの側面にフォーカスした、少数派として誇り高く生きる人々の曲になる気がする。
だとすると中田敦彦の役割は、社会の少数派とされるエンターテイナーたち・芸事を趣味ではなく生業とした者たちの旗印ではないか。

……なんか今日、やたらと中田敦彦に旗を持たせようとしてる

キリスト教の造詣

FISHBOYさんは中学から大学まで、青山学院に通われていた。

青山学院中等部・高等部といえば中高一貫のミッションスクール。つまりキリスト教系学校である。
神学や聖書についても学ぶ時間があったと考えられる。


学校で習った知識を全ては覚えていないにせよ、一般的な無宗教者に比べれば、キリスト教にかなり詳しいのではないか。
とすると、中田崇め曲を書く場合にもそれらの知識が反映される可能性がある。


個人的には「御神体=中田敦彦=あっちゃんは三位一体である!」とか急に言い出してこちらを困惑させたあと、深い洞察と論理性からくる説得力で無理やり我々を納得させてほしい。

そこまでトンチキな方面に行かなくとも、出エジプト、復活、奇跡など興味深いモチーフがたくさんあるし。

③深く考え抜く姿勢

FISHBOYさんは今までに4曲をプロデュースしている。

  • Make Ya Groove
  • BURNING FESTIVAL
  • No.55
  • O.I.S ~オルスクセクシィー~

……4曲目のタイトルの癖が強い

O.I.S~オルスクセクシィー~

O.I.S~オルスクセクシィー~

  • RADIO FISH
  • J-Pop
  • ¥250
もちろん楽曲の癖も強いのであった


彼の歌詞の共通点として、周囲の視線の意識、そして豊富な語彙と鋭い洞察が挙げられる。
前者については①で述べたとおり、自らの生き方が周囲とは違う少数派であると実感しているためだろう。


ここでは後者について考える。

これらの語彙や洞察は彼の知性と、物事を徹底的に追究し考え抜く姿勢によってもたらされるものだろう。


もしその美徳を中田崇め曲に一心に傾けたら、いったい曲は、そして彼はどうなってしまうのだろうか。

中田敦彦とは何なのか?
NAKATAはなぜ尊く、崇めるべき存在たりうるのか?

それを考え抜いたとき、その先にはどんな光景が広がるのだろうか。


なんか「中田敦彦が何なのか、完全に理解(わか)りました。中田敦彦は実在します」みたいな境地にたどり着いたらヤバいなと思っている。いや中田敦彦は実在するんですけども……

そういうの聴きたいけど聴いたら何かが変わってしまう気がする。自分の中で。


『No.55』の歌詞やMV見てると、万にひとつくらいそういうコンセプトになる可能性、ある気がしています。


まあ普通に考えたら、穏当に「中田敦彦は世界を変える。君の人生を変えたければ着いてくるがいい」みたいな方向になるかな。

……と一瞬思ったけど、いや全然普通でも穏当でもないわ。実の弟が兄の崇め曲書くってどういう状況なんだ。



空想は以上です。ありがとうございました。