蟹を茹でる

カニ @uminosachi_uni の雑記ブログです。好きなもののこと何でも。

「明けない夜はない」の残酷さと、太陽の沈まない国

RADIOFISHの曲『NKT34』には、こんな歌詞があります。

明けない夜はなーいからねって
誰かが言ってたがありゃ嘘だ
彼がいればいつでも陽が当たる
そうさ彼こそが僕らの象徴

※「彼」とはNAKATAを指す。


「明けない夜はない」。


大抵、ポジティブな意味で発される言葉だ。頑張ってるけどなかなかうまくいかない人を励ますために。「頑張り続ければ、いつか必ず成功するよ」という意図で。



だから、『NKT34』を初めて聴いたとき、小さな引っ掛かりを覚えた。
ポジティブな意味合いの言葉を、何故リリックを書いた藤森慎吾さんは拒んだのだろう? と。
いや普通に聴いたらまず「どんだけNAKATAを崇めるんだよ」という点に引っ掛かるのかもしれないが



それをきっかけに、「明けない夜はない」が持つ意味を改めて考えてみた。
オリエンタルラジオの歩んできた道と重ね合わせてみると、それは確かに、否と言いたくなるような、無責任な言葉かもしれないと思った。


 

「明けない夜はない」

今は長い夜で、結果が出ないかもしれないけど、ここで頑張り続けていれば、いつか朝が来る。そういう意味の励ましであり、慰めなのだろう。

確かに、長い夜を経験し続けている人には、励ましになるかもしれない。いつか来る朝を夢見て、同じ方法でこれからも頑張り続ける原動力になるかもしれない。



でも、と思う。
もしその人が一度成功したら、その後どうするんだろう? 朝が本当に来たら、その後はどうなる?

明けない夜はないってことは、裏を返せば、暮れない昼もないってことだ。地球が自転している限り、時間が流れている限り、太陽はいつかまた沈む。

「明けない夜はない」って言葉は、やっと成功を掴んだ人、現状売れてる人にとっては、もしかしたら残酷な言葉なんじゃないか?



頑張り続けて、ついに運が向いてきた人は、頑張り続けていつか運に逃げられるかもしれない。
時代が俺に追い付いてきたって人も、いずれは時代に追い越されていくかもしれない。

その人にどんな言葉をかけられる?


「努力が報われてよかったね。でも、お前の太陽はいつか沈むよ、頑張り続けれていば、いつか失敗するよ」って、言うんだろうか。
そんなもん相当なサイコ野郎じゃなきゃ言えない。

きっと、大抵の人は、「努力が報われてよかったね」までで、留める。
またいつか来る夜を、見ないふりをして。あたかも、あなたがたどり着いたその地は常春の昼の王国ですよ、と振る舞うだろう。



生まれて初めて、夜明けを体験した人なら、その幻想を信じられるかもしれない。この眩しさがいつまでも続くんだと希望を持てるかもしれない。

2度目の夜明けなら、「前は違ったけど、今度こそは」と、半ば意地になれば思い込めるかもしれない。



でもそれが、4度目の夜明けだったらどうだろう。今まで何度も昼と夜を経験してきたとしたら。
当人たちも、いつかはまた夜が来ることを、予感するんじゃないだろうか。

その予感を持つ人にとっては、「明けない夜はない」は励ましではなくて、裏返しの予言になってしまうのかもしれない。
だからこそ『NKT34』は、この言葉を拒んだのかもしれないと思った。




待っていれば夜明けはくるのか

「明けない夜はない」は、成功を掴んだ人にとって、残酷なだけでなく失礼なんじゃないだろうか。私個人はそう思う。



最近は何をやってもうまくいかない、ツイてない、と嘆く人を励ますなら、いい言葉なのかもしれない。

昼と夜が巡るように、巡り合わせが良い時期も悪い時期もある。今は運が良くなくても、辛抱強く待てばいつか好転する。
そういう意味で使うなら、アリなときもあるだろう。



でも、頑張り続ければ成功するという意味で使うのは、正しい用法なのか?
不遇の時代を乗り越えて、やっとの思いで成功を掴んだ人に、送るべき言葉ではない気がする。

だって、悪い風にとるなら、「頑張り続けていたら、それとは関係なくたまたま夜明けが来た」みたいじゃないか。

太陽を操ることは、それこそ神にしかできない。
朝と夜は、季節と緯度に応じて、人間の営みとは関係なく訪れる。



なんだか、ハトの迷信行動を思い出す。

空腹のハトを実験装置に入れ、15秒に1回ずつエサが出るように設定しておく。ハトは何もしなくても、待っていればエサがもらえる。しかし、ハトたちは各々奇妙な行動を取るようになったという。
例えば、ハトが右回りをしているとき、「たまたま」時間になってエサが出る。ハトはもう1度エサを得たくて、さっきエサをもらえた時の行動をまたやってみる。ハトが何度か右回りをしていると、また時間になってエサが出る。

実際右回りとは何の関係もないのだけど、ハトは「右回りをし続けていればエサが出るのだ」と学習してしまい、右回りを続ける。
途中からエサの供給を完全にストップしてしまっても、「右回りをし続けていればいつかはエサがもらえる」と学習してしまったハトは、ぐるぐるぐるぐる回り続ける。



似ている気がする。

もし本当に、いつか夜が明けるなら、何もせずに待っているのが正解なのだ。
待ち続ければいつか成功できるなら。成功を掴むための頑張りが、実はただの願掛けに過ぎないのなら。



本当にそうか?
彼らのやってきた挑戦は、そんな受動的なものだったか?

彼らは不断の市場分析を積み重ねて、トライ&エラーで優れたコンテンツを作り出して、改良して磨き上げて、ついに成功を手にしたのではなかったか。
やっぱり、彼らの手に入れた成功は、単なる夜明けではなかったと思う。

あるいは、彼らが太陽を自力で呼び込んだのだ。




夜を乗り越える

成功者の視点からじゃなく、今まさにつらい人の視点から見ても、この言葉がむかつくことってありませんか。

こっちだって明けない夜がないことはわかってるんだよ、いつかは朝が来るんだろうよ。でもこっちは「この夜を乗り越えられるか」に命懸けてんだよ。

荒野で夜に怯えているときに、「明けない夜はない」は慰めにはなり得ない。
この夜のうちに猛獣に襲われてしまったら、夜を乗り切れずに死んでしまったら、それでも朝は来るだろうが、屍のうえに日が降り注ぐだけだ。



必要なのは、寒さをしのぎ獣を避けるための焚き火だ。朝が来るまでを乗り切るための、夜を乗り越えるための道具だ。

それは危機に対応するための知識かもしれないし、不遇のときを支え合える仲間かもしれないし、あるいは、つらい気持ちに寄り添ってくれる1冊の本かもしれない。

夜を乗り越える(小学館よしもと新書)

夜を乗り越える(小学館よしもと新書)




太陽の沈まない国

あるいは、夜を乗り越える以外にも、夜に打ち克つ方法があるかもしれない。
それは、「太陽の沈まない国」を作ること。

太陽の沈まない国-Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E9%99%BD%E3%81%AE%E6%B2%88%E3%81%BE%E3%81%AA%E3%81%84%E5%9B%BD



かつてスペイン帝国がそう呼ばれていた。イギリスもそう呼ばれた時代があるらしい。
あまりに世界の広範な地域に領地や植民地を持っているので、領土のどこかしらでは太陽が出ているからだ。

DA PUMP『U.S.A.』でいうところの「カモンベイベーアメリカ どっちかの夜は昼間」である。



理論的には、地球を東西に1周するように領土を持っていれば、領土のどこかは必ず真昼である(但し、緯度66.6度以上で1周している場合は極夜のためどこにも日が当たらない時季がある)。

様々な経度のポイントに領土を持つことが出来れば、「帝国のどこかにはいつでも日が当たる」状態を実現できる。



人間の活動に置き換えれば、「ひとつのことに全てを賭けるのではなく、分散して色々な活動を行う」状態といえるだろうか。

確かな技術を身に付けて、安定した生業をベースにしつつ、新しいことにも次々挑戦していく。挑戦してうまくいったものを、どんどん自分のライフワークに取り入れて、自分たちの良さを出せる「領土」をどんどん増やしていく。
拠点も武器も、ひとつに絞らずいくつか持っておく。



これは投資でよく使われる、「ひとつの籠に卵を盛るな」という箴言にも通じる。
ひとつの籠に全部の卵を山盛りにしておくと、その籠を落としたとき卵が全滅してしまう。卵は色々な籠に少しずつ盛るべき、つまりはリスク分散のため、色々な対象に分散投資せよ。という意味だ。



慎吾さんの目指すスタイルは、上で述べたものに非常に近いのかも。

台本のある定番のお仕事をしっかりこなして土台を固めつつ(本国の情勢の安定は治世の上で非常に重要だ)
声優や作詞やお芝居、コンビでの挑戦的な試みなど、新規市場の開拓にも積極的に取り組んでいる。



トークライブでも、「安定したお仕事は確保した上で、新しいことにも取り組んでいきたい」「オリラジの良さを、もっと多くの人に知ってほしい」と話されていた。
そういうところが魅力的な人だ。




時速1400kmの男

夜に打ち克つ方法が、あともうひとつある。
地球の自転速度と同じスピードで、自転と逆方向に飛び続けることだ。

日本の上空を時速約1400kmで飛び続けられれば、自転に逆らって日の当たる場所にとどまり続けることができる。
音が時速約1225kmなので、超音速で飛ぶ必要がある。



人間の活動に置き換えれば、「常に最新トレンドを予測して新しいコンテンツを作り、時代の先端に居続ける」状態になるだろうか。

どちらにしても常人には実現が難しそうな話だ。



トレンドを予測し続けるにはとんでもない分析力が必要だし、人間だから予想を外すこともありうる。
しかも分析したトレンドがホットなうちに、素早く優れたコンテンツを作る行動力も必要になる。

頭も体も使わなくてはならない。莫大なエネルギーを消費するだろう。



しかし、中田さんが目指しているのは、まさにそういう状態なんじゃないだろうか。

安定は図らない。常に新しい試みに挑戦し続けたい。攻めの姿勢で新企画を次々と考案し、新たな価値を生み出したい。時代の流れを読んで潮目を捕らえ、バズりたい。
これまでだって彼はそうしてきた。

つまりNAKATAは時速1400kmの男なのだ。





誰もが、時速1400kmの男についていけるわけではない。
先導者がいてさえ、時速1400kmで飛び続けるのは難しい。超人的な体力と強い精神、何より「絶対にこの人についていく」という覚悟が必要だ。

それを完璧な形で、ずっと継続できるのは、藤森慎吾の他は相当な覚悟を持ったファンしかいないんじゃないか?



しばらくは後ろを飛んでたけど、一旦休もうと思う人もいるだろう。
ついていくことは続けるけど、スピードを落とそうと思う人もいるだろう。
オリラジが大好きなんだけど、目を離せない家族がいて、あるいは他に事情があって、飛び立つわけにはいかない人もいるだろう。
もしくは元々体力がなくて、ゆっくり部分的にしか追えない人もいるだろう。

きっと中にはそのことに、罪悪感や引け目を覚える人もいるかもしれない。
「オリラジが遠いところへ行ってしまう」と寂しく感じる人もいるだろう。



でも。
彼は、どこか日の当たらない遠い場所へ飛び去ってしまったわけではない。
ハイスピードでその人から見えないところへ飛んで行ってしまったとしても、きっとまた、日の当たる場所で彼を目にできるはずだ。

私はそう信じている。



だから、追いきれない人も、ついていけない人も、無理せず、自分のペースでいてくれていいと。中田さんはそう思ってるんじゃないだろうか?



生活の拠点を離れるわけにはいかない人も、完璧についていく体力がない人も、好きだけどそこまでするほどじゃないわって人も

ただちょっと余裕があるときにだけでも、真昼の空を眺めてみてくれればいいなと、私は思う。





きっと上空を超音速で飛んでいくNAKATAの姿が、そこから見えるはずだから。