蟹を茹でる

カニ @uminosachi_uni の雑記ブログです。好きなもののこと何でも。

RADIOFISH『No.55』のミュージックビデオが謎すぎる

まず一旦騙されたと思ってMVを最後まで見てほしい。

たぶん、見終わったときには人生で史上3番目くらいにきょとんとした顔になっていると思う。

とりあえず、あんなに狂喜しながらカレーをかき食らう子どもが見られる映像って貴重だと思うので(私は他に例を知らない)、それだけでも見てやってください。



初見時の雑感

えっどういうこと……? 地面にカレーの具材が? 誰が置いたの?
これはあれか、カレーマニアをおびき寄せるための罠とかそういう……?

少年が頭を押さえて苦しんでいる!
何かを思い出しそうなのか? それとも、カレーの誘惑に打ち勝とうとしているのか?



カレーライスボーイの表情ヤバすぎる、完全にカレーが非合法のものにしか見えないくらい恍惚としている



孤独な少年が背中を叩かれて振り返る。
「振り返ったら仲間たちが並んで笑っていて、自分がひとりではなかったことを知る」
っていうならミュージックビデオあるあるですけど、

いつの間にかトマトのまわりにプチトマトが増えてる……!

どういうこと!? プチトマトが仲間なの?
あれもしかしてトマトたちが子どもを生んだ的なことなの??

そんでジュースにしちゃうの!?
MVのストーリーが謎すぎて、少年のダンスのうまさと格好良い歌詞が全然入ってこない

まあ百聞は一見に如かず。見てください


解釈を試みた

まあこれだけだったら「シュールなMV作ったんだな」って思うのですが、このMVのディレクターを担当したスキルマスター・FISHBOYさんがこんなコメントを。

どういう生き方???

しかし、あのストイックで熱心で友達1億人のFISHBOYさんが言うからには、このMVには何か深ーいテーマが隠されている気がしてきた。

そこでなんとかしてこのMVから一貫したテーマを読み取れないかと、解釈を試みました。


最初は、少年の「カレーを拒んでトマトを貫く」*1選択が描かれているものとみて。

カレー=良い大学出て良い会社に入って家庭を築くような、手堅くて安泰な人生の象徴
トマト=ダンサーとしての、みずみずしいが主流からは外れた人生の象徴

こんな感じで食べ物を人生の選択に見立てて、
「様々な誘惑や普通の人生の可能性を断ち切り、ストイックに一意専心、ダンサーとしての道を歩んできた。そうするうちにダンスの豊かさを知り、自分の人生を味わって悪くないと思えた」

そんな感じのメッセージが込められてるのかなー、と初めは思った。


この解釈も素敵だし、この方向性で私よりもっと素敵な考察をしている人もたくさんいる。
たとえばこの呟き。めちゃめちゃエモい。




異なる解釈の可能性をさぐる

ただ「少年がトマトだけを選んだ」と考えると、ちょっとプチトマト大発生と最後のトマトジュースが引っ掛かった。
これはあくまで個人的感覚だけど、「少年が自分で選びとる」それまでのシーンと、ニュアンスがちょっとずれてる気がしたのだ。


最初のふたつのトマトは少年が自分で拾い上げて選びとっている。

一方でたくさんのプチトマトたちは、背中を叩かれて振り向くといつの間にか増えている。
誰が置いたのか、どこから来たのかは謎に包まれている。


また、せっかく得たトマトたちをそのまま味わうのではなく、粉砕してジュースにして飲むという表現は、少し遠回しな感じがした。
わざわざジュースにするということは、そこにメタファーとしての意味があるのでは?



そして考えてみて、たどり着いた。
あのMVを「少年がカレーよりトマトを選んだ」と考えるから引っ掛かるけど、
「トマトがカレーの仲間に入るより孤独を選んだ」と解釈すると、色々なことが(自分の中で)きれいにつながることに……!


MVの主人公、トマトだ……!


そうするとカレーは「ふつうの社会」の象徴だ。
会社があり近所付き合いがあり、そのしくみに組み込まれて安定して生きていけるような社会。
そこでは玉ねぎやじゃがいもや豚肉、にんじんたちが活躍している。

トマトには、そんなカレーの隠し味として、「ふつうの社会」の目立たない一員として生きていく道もあった。


しかしトマトはその誘惑を拒み、孤独に耐え、社会に組み込まれずに自分らしく生きることを決めた。

ふつうの社会の安定した生活を享受し、見せびらかしてくる人間たちになびきもせず。


そんなトマトが孤独に踊っていたとき、目の前にもうひとつのトマトが現れる。
トマトは信頼できる相棒を見つけて、トマトらしく生きていく自信を得る。

ときにはふたり歩道橋に並んで眼下の街を眺めながら、自分たちの生き方が正しいのか迷ったこともあった。
それでも一心にダンスを突き詰めてきた。


肩を叩かれてダンスをとめ、ふと周りを見渡してみると、そこにはたくさんのプチトマトがいた。
いつもダンスに真剣なトマトを慕い、後輩として生徒として、あるいはファンとしてついてきてくれた者たちだ。


トマトとプチトマトたちは、力を合わせて一丸となり、トマトジュースとなる。
そこにはカレーに負けない味わいと栄養があり、その渇きを満たしてくれた……



こんな感じで解釈していくと、「ダンスを極めていたらいつの間にかプチトマトが大発生していた」というシチュエーションもスッと入ってくるし(本当か?)、

最後のトマトジュースも、重要な意味を持ってくる。



あれは、料理としてのカレーと対比される、「完成品」としてのトマトジュースだと思う。


トマトジュースは、ほとんどトマトだけでつくることができる。
一方で、トマトひとつだけでは、絶対にあの量には届かない。

たくさんのトマトたちが力を合わせて初めてできる調理品が、トマトジュースなのだ。



志を同じくするたくさんの仲間たちが、一体化してひとつのものを作り上げる。
ひとりひとりの境目はなく溶け合っているが、トマトとしての良さは隠れることも紛れることもなく、はっきりと主張している。


きっとRADIOFISHにとってはこの『No.55』が、そしてこのMVが、トマトジュースなのであろう。

*1:RADIOFISH故事成語第2弾である。ちなみに第1弾は「3万円する不可抗力」です