蟹を茹でる

カニ @uminosachi_uni の雑記ブログです。好きなもののこと何でも。

『ユーモア解体新書 笑いをめぐる人間学の試み』

読みました。

ユーモアの解体学は、新たな人間学である

本書はユーモアと笑いをめぐる11の論考から構成されている。それらの論考を貫く探究テーマはただ一つ、「人はなぜ笑うのか」という古くて新しい問いである。

知的好奇心をそそる書き出しで、この本は始まる。硬派な文体ながらも論旨は明快。専門的な内容の研究書だが、できる限り身近な言葉で、わかりやすい説明がなされている。簡潔にまとめられた文章のうちに、「ユーモアの革新的な専門書をつくる!」という決意が見えて、まえがき好きとしては推せるやつ。



引用の通り、この本には笑いとユーモアに関する11の論文が収録されている。
面白いのは、そのジャンルが多様なこと。執筆者みんな専門がバラバラ。当然笑いに関するアプローチも考え方もそれぞれ違う。

1章では哲学者が『現存在の各自性』を説きつつ「ショーペンハウアーは嘲笑の笑いしか理解できへんヤツなんや!」みたいなこと言い出したり*1
かと思えば、現時点での笑いに関する研究動向を丁寧にまとめてくれる論文もあったり。

後半の章では、かなり応用的な分野の論考も入る。
レッド・ツェッペリンとユーモア
・パロディ漫画と二次創作(やおい)
アリストテレスが下ネタをどう捉えたか
そうそうたる顔ぶれ。

これだけ幅広いと、たぶんどんなタイプの人でもひとつは気に入る論考、役立つ知見が含まれていると思う。


入門的な内容で読みやすいのもよい。さすがに小説や実用書ほどではないけど、個人的には新書よりサクサク読めた。
それでいて、専門的な議論の概要も知ることができ、引用・参考文献も論考ごとにきちんと載っている。気になる先行研究をどんどん辿っていけば、さらに知識が拓けていくと思う。


ユーモアの学問がなんとなく気になる人、笑いを研究してみたいな……と迷ってる人にはおすすめできる。「笑いの研究ってこんなに自由で色々あるんだ……」と視野が広がる本だった。



以下は、各論考の簡単な解説と感想。

1章 笑いを研究して何が得られるか 仲原孝

笑いを研究することの困難さを、哲学者の視点から語る。笑いの多義性、各自性、言語の問題といった観点は、他の分野の研究でも重要になりそう。
ユーモアの研究書で初っぱなから「他者の笑いを研究するのって無理じゃない?」と論じるアグレッシブさが面白い。
著者の主張も所々トリッキーでウィットに富む。
特に、動物の笑いの研究者に対する熱いdisが印象に残った。


チンパンジーの子供は母親に「高い高い」をされると笑う、との研究に対し、著者はこう反論する。

それは「恐怖」の表情なのだとか(中略)理解するのは間違っている、と、なぜ断定できるのか。恐怖を感じているなら逃げ出すはずだ、と考えるのは、「人間に当てはまることは必ずチンパンジーにも当てはまる」という自己投影的思考法の帰結である

人間においてすら、母親から虐待されて母親が怖くて仕方がないのに他人が母親から保護しようとしたら母親にしがみついて離れようとしない子供はたくさんいるではないか。

投影してるやん!!
人間に当てはまることをチンパンジーに当てはめてるやん!!
さっきそれ反論の材料にしてたやん!!
めっちゃフリとオチ使ってくるやん!!

……いや、「必ず」と思ってなければいいのか?
でもそれを言ったら動物行動学や比較認知の研究者とて、チンパンジーに人間の全てを当てはめてるわけないし、笑いについても人間と完全に同一のものだと言ってるわけではあるまいし……。

あえてユーモラスな構成にしてるのか、「貴殿方にも分かる様、敢えて自己投影的思考法で言うと」って趣旨なのか、マジでやってるのか。読み手にはわからない、飄々とした論理展開である。

2章 笑いとユーモアの探究はどんな眺望をひらくのか 片岡宏仁

副題に「探索ガイドマップ」とあるとおり、笑いを学ぶ上で道標となる先行研究を多く示している。初心者たる自分にとっては、ここが一番役に立った。解説は親切だし、観点もさまざまで興味深い。前提知識を得るにはもってこいだと思う。

特に興味深かった点は以下。
・笑いの普遍性
→笑顔や笑い声は文化を超えて共通する
・笑いの生得性
→ヒトは赤ちゃんのころから、学習しなくても笑う
デュシャンヌの笑い
→作り笑いと自然に出る笑いには様々な違いがある
・笑いの社会性
→人は人といるときの方が(滑稽な内容でなくても)よく笑う
・ユーモアとおかしみに関する代表的な理論
→不一致理論、不一致解決理論など

笑いには社会的地位も絡んでくる、というのも面白かった。確かに権力持ちのおじさんが言うジョーク、なんも面白くなくても若手は気を遣って笑うもの……

3章 ユーモアの価値はどのように割り引かれるのか 小原漱斗・佐伯大輔

笑いの共有が価値認識に及ぼす効果(価値割引)を、行動分析学の観点から精神物理学の手法で実験する。
……と説明すると難しそうな論文だが、全然心配はいらない。行動分析学とは、精神物理学とは何なのか? どんな考え方で、どんな実験・調査方法をとるのか? そんな基本的なことから、門外漢にもわかりやすく書いてくれているからだ。

「価値割引」には様々な種類があり、それぞれ研究が重ねられている。
イメージしやすいのは遅延割引(10年後にもらえるショートケーキは、いまもらえるショートケーキより価値が低く思えるなど)、確率割引(半々の確率でもらえる10万円は、確実にもらえる5万円より敬遠されるなど)だろう。

この論考で扱うのはその一種、社会割引。他者と共有することで価値認識がどう変わるか、が主題。大ざっぱに言うと、「知らない人と共有する10万円は、独占できる5万円より価値が低く思える」みたいな話。
ふつう、報酬は他者と共有すると、主観的価値が減る。親しい人より知らない人と共有する方が、そして共有する人数が多い方が大きく減る。
その結果には納得がいく。「この100万円を知らん人らと100人で協議して分け合ってください」って言われるの、ぽーんと1万円もらえるのの100倍ややこしそうだし。

しかしユーモアの場合、共有した方が主観的価値が増える場合がある!
これを明らかにした実験内容、ふたつの実験結果の違いに関する分析、そこから導き出される結論、どれも意外性と納得感が両立していて読みごたえがあった。

4章 ユーモアはなぜ愉快なのか 佐金武ほか

まさにタイトルのとおり、ユーモアが愉快な理由を丁寧に解きほぐし、解き明かしていく論考。

「まず、ユーモアの発生条件と、ユーモアが引き起こす心的状態と、ユーモアの進化的な存在理由は分けて考えないとだめじゃん」との指摘には目から鱗が落ちる思い。議論の的確で明快な交通整理、これが研究者の技術……!
ユーモア理論の代表的な類型について比較検討し、分析する手つきは鮮やか。無駄のない包丁さばきで魚が三枚におろされてるのを見てる気分になる。学びの初歩に適した内容だと思う。

それらの類型について有用な部分を取り出し、説明不足なポイントを指摘し、反論に再反論して著者らは『優越説』をブラッシュアップしていく。
何かを見下すのではなく、「◯◯すごい!」と思うかたちの優越感もある、との主張が目新しく感じた。

5章 ユーモアは不道徳だとつまらなくなってしまうのか 太田紘史

不道徳さがユーモアの愉快さにどう影響するか、これまでの代表的な議論を取り上げ、著者の主張につなげていく。個人的には著者の結論は自明な気がしたが、そこに至るまでの論理の組み立て方は見ごたえがあった。

不道徳さを表現することと是認すること、面白いか(事実)と面白がってよいか(規範)の違い、合理的規範性と道徳的規範性の区別、反応依存性や主体相対性といった概念。どの議論も刺激的で、考え方の枠組みは他にも援用できそうだ。
賞レースの審査についても言及されている。

6章 自己卑下による笑いは損なのか得なのか 新居佳子

いわゆる自虐ネタやおもしろおかしい失敗談の効能を探る。著者は、社会構造のタイプによってそのはたらきが変わると主張する。
後半はサムライとあきんどの文化差から、関西人の生態の話にスライドしていくのがかなり面白い(おかしみを感じる、という意味も含めて)。

最後の結論はひとことで言うと「自虐ネタ can change the world.」みたいな感じで、正直ちょっと話がデカすぎるんじゃないか……と思う部分はあるものの、楽しく読めると思う。
自虐ネタや関西芸人が好きなら読んでみてほしい。

7章 ヒトはなぜおかしいものを笑うように進化したのか 山祐嗣

笑いの源泉を適応的意味から解き明かす、つまり進化のうえで笑いが持っていた役割を考察する。集団形成や「心の理論」、順位制との関連などが取り上げられていて、社会集団や進化心理学を知ってみたいなら役に立ちそう。

ざっくり言えばヒトがおかしいものを笑うのは、「集団の維持と集団内での地位向上に適応的だから」なのだが、そこにはヒトの認知機能や個体間の関係など、多数の要因が複雑に絡みあっている。

「笑い」と一口に言っても、種類の違い(同調の笑い/嘲笑)や主体の地位(上位者が下位者を笑うのか、下位者が上位者を笑うのか)によって目的や地位が変わる、と進化的側面から説明しているところなど、興味深かった。

8章 音楽のユーモアはどのように鑑賞されるのか 源河亨

レッド・ツェッペリンの『デジャ・メイク・ハー』のユーモア、という極度にピンポイントなテーマの論考だ。だがそこから議論が広がっていき、普遍的なユーモアの性質を理解するにも有用な内容になっている。

「ユーモアのおかしみを感じるには前提知識が必要」、そして「ユーモアの面白さは鑑賞の仕方によって変わる」という一見当たり前な考え方を、美学的に裏付けていくところは見事。レッド・ツェッペリンを全く知らなくても、この論考から得られるものはたくさんあると思う。

メロディーラインに込められたユーモアが主題なので、「言語的な内容もなく、滑稽な演奏でもない(ふつうに演奏はうまいのに笑える)ユーモアの形とは?」という鋭い問題提起がなされているのも特長。

9章 パロディは笑えるのか 石川優

パロディ漫画といわゆる二次創作の違いはどこにあるのかを、原作との向き合い方や創作の目的などに着目して考察する。
パロディ漫画にも、原作を批評する機能のものと、原作ファンに親しみを感じさせる役割のものがある。両者は作風も、原作に与える効果もかなり違っている。

二次創作について著者は、コメディ的な内容の「オールキャラ」と恋愛関係がメインテーマの「やおい」に大別し、それぞれの目的の違いを分析している。実在するアンソロジーを取り上げての詳細な調査分析には圧倒された。
ちなみに二次創作って商業流通しにくいので、厳密な手順にのっとって調査するのは大変らしい。

10章 なぜアリストテレスは「下ネタ」を許容したのか 田中一孝

もう章タイトルがユーモラスである。「そ、そうなんだアリストテレス……」と思わせてくれる。
もちろん中身は非常に知的な話。アリストテレス政治学』の教育論のなかで語られる、「アイスクロロギア(恥ずべき語り)」について論じるものだ。アイスクロロギアの響きもやたら格好良いな。

アリストテレスの教育論について先行研究を参照し、ときに反論しながら、アリストテレスがなぜ理想の都市国家で「性的な恥ずべき語り」=下ネタを許容したのかを読み解いていく。

国家として市民の性を倫理的に統制しながらも、性を称賛する祭礼を残し、あるいは喜劇や共同食事における年長者との交流を通じて、一種の性教育を行おうとしたのではないか? と筆者は考える。国家を維持するうえでは、節度を保ってもらう必要もあるが、人々が性に消極的すぎても困るからだ(誰も子供を持とうとしなくなるので)。

現代の価値観からすると、国益のために個人の倫理や行動を直接統制しよう、との意見はかなり受け入れがたいものの*2アリストテレスのバランス感覚は面白いと思う。

11章 20世紀転換期のアメリカ帝国主義において諷刺はどのように利用されたか 金澤宏明

20世紀初頭のアメリカにおける諷刺イラスト・諷刺漫画をテーマに、当時のアメリカに広まっていた価値観を考察する。ちなみに当時諷刺画が載っていたような媒体の多くはアメリカ主流派(いわゆるWASP)向けだったため、主に白人男性の見方が反映されている。

イギリス本国の圧迫に対する諷刺や、アメリカ自体への自己批判的な諷刺があった一方で、少数派である黒人や有色人種を揶揄するような諷刺もあった。その二面性がアメリカにおける諷刺の特質だという。

これらの諷刺からは当時の白人男性が持っていた人種観だけでなく、ジェンダー観も見てとれる。
アメリカや帝国国家は大人の男性として描かれることが多い一方、アメリカ外の島嶼領土(ハワイやフィリピンなど)は子供や女性の姿で多く描かれたという。

まとめ

分野横断的かつ入門向けということで、初心者にもかなりわかりやすく、最後まで好奇心を持って読める本だった。ライトな読み口だが学術的な内容を扱っており、ユーモア研究を知る第一歩によいだろう。
ただ値段が7000円くらいするのが気になるところ。良質で難しすぎない研究書なので、図書館にリクエストするのも良いんじゃないかと思う。もちろん個人で購入されればもっと良い。

*1:もちろん原文は大阪弁ではないが

*2:現代でももっと異常で人権侵害的な主張をする人間はごまんといるが