KingGnu『The hole』についての語りを聴いた
前にTwitterで言っていた「オタクの推し語りをひたすら聴いてメモを取り、それを言葉でまとめて後日送るサービス(仮称:出張エモソムリエ)」ですが、なんと希望者がいらっしゃった(!)のでお会いしてきました。
※なお、以下の内容は依頼者の公開許可を取った上で掲載しています。
実際会ってきいてみた
3月、場所は都内のおしゃれなカフェ。
依頼者さま(匿名希望)のご提案で、まずはいっしょにお昼ご飯(ごちそうになりました)。
楽しく雑談しながらお腹が満たされたことで、1対1でも気軽に親密に話しやすい雰囲気になれました。
こういった気遣いをさらっとしてくださったの、とってもありがたい……
そしていよいよ本題。
依頼内容は、「KingGnuの『The hole』という曲に関して、煮詰めまくった感情を抱いているので話を聴いてほしい」というもの。
煮詰めまくった感情、という表現がすごく素敵……
誰かに話したいけどリアルの友達に聴いてもらうのは気がひけるし、
同ジャンルでわいわい盛り上がれるタイプの話題ともまた違う。
そういう熱量のこもった語りを一緒に共有したかったから、「オタクの推し語りをひたすら聴いて言語化するサービス」を始めようと思ったので。
以下、
依頼者の煮詰めまくった、でも普遍的で真に迫った感情のお話を、カニの感じたことを交えつつ書いていきます。
曲への第一印象
依頼者(以下Aさんとする)、今でこそ『The hole』はこの方にとって特別な曲だけど、初めて歌詞を見たときは好印象ではなかったとのこと。
むしろ「苦手なタイプの人が来た……」と引くような気持ちだったらしい。
全然気が合わないタイプ? と聞いたところむしろ逆で、同族嫌悪に近い感情だったそうだ。
この歌詞の「僕」が抱える心性や考え方には身に覚えがあり、「こいつとは長い付き合いだ……」と感じたという。
自分に当てはまるからこそ受け入れがたかったり、心がざわついて落ち着かない気持ちにさせられてしまう歌詞って確かにある気がする。
それだけ自分の心と強く共振する歌詞でもあるから、不穏な気持ちになるのに気になって仕方ないやつだ……
その複雑なアンビバレントな気持ちを、「こいつとは長い付き合いだ……」って表現するとこめちゃくちゃ良いですね。愛じゃん……。
すぐには受け入れがたい同族嫌悪の感情を、ずっと付き合ってきた自分の一部として認めてるのが人としてほんとうに良い。
こういう感情の機微について話してくれたのが嬉しい。
歌詞の展開にみる「僕」の世界認識
Aさんが最初に言及したのが、歌詞全体の運び(展開)。
1番の歌い出しは「世界がいつもより穏やかに見える日は 自分の心模様を見ているのだろう」と始まり、非常にのどかで穏やかな景色を描く。
しかし途中からその雰囲気が一変。世界は非常に不確かで不安定な、恐ろしいものとなる。
歌詞のなかでは、僕とあなたの二者関係が美しく尊いものとして描かれる。
一方でふたりを取り巻く世界は、傷ついたふたりをおびやかす恐ろしい存在だ。
キーとなるのがサビに繰り返し表れる「僕が傷口になるよ」とのフレーズ。
「僕」自身が傷つき、脆く、世界を恐れているにもかかわらず、彼はもっと傷ついたあなたを守ろうとする。
見えてくるのは、「僕」があなたに被さってあなたを恐ろしい世界から覆い隠し、代わりに「僕」が傷を受けるイメージだ。
この「傷口になる」という表現、言われてみれば「僕」の傷つきと弱さを象徴しているかのようだ。
彼は包帯や傷薬になってあなたを手当てしようとするのでも、盾や壁になって世界による侵害を跳ね返そうとするのでもない。
世界からおびやかされたとき、彼は傷をケアする優れた手立ても、傷つけられない強さも持ち合わせていない。
ただ、あなたの穴をふさぐように覆い隠し、代わりに世界に傷つけられることであなたを守ろうとしている。
しかもここに、歌い出しのフレーズが響いてくる。
世界が穏やかに見える日は自分の心模様を見ているのなら、世界が恐ろしく見える日も、同様に自分の心模様を見ているはずだ。
彼は世界が恐ろしく侵害的に見えるほどに心をおびやかされていて、世界に抵抗できないほど脆くなっている。
咀嚼すればするほど、とんでもなく業の深い歌詞だ……
歌詞にみる「僕」の心性
Aさんの感情を最も強く刺激したのが、曲に表される「僕」の心性。
自分も傷ついているのに(傷ついているからこそ)、自分よりもっと傷ついた相手を救いたくなる。
傷ついた相手を守り、手をさしのべることで、相手を救える自分は特別だと感じてカタルシスを得られる。
苦しみや傷つきを打ち明けてきた相手に、「(他の人には無理でも)自分ならこの人を救える、自分ならこの人を見捨てたりはしない」という気持ちをかきたてられる。
相手を必死に守ろうとしているようで実は、相手が本当に守られ癒されているかは二の次。
手をさしのべることそのものに、そして相手に感謝されることに、実は自分が救われている。
ここまで読んで、あなたにも思い当たるところはなかっただろうか。
正直、自分にはめちゃくちゃ突き刺さった。身に覚えだらけだ……。
曲の壮大さで綺麗にパッケージされてはいるけれど、『The hole』の歌詞が示すのはそういった生々しい心のうごめき。
誰もが持つ弱くて自分勝手な心性を、リアルに重厚に描いている。だから、この曲は傷ついた人の心を揺さぶる。
Aさんの心の深くまで迫る曲になったのも、そのためだと思う。
曲に引き出された記憶
Aさんの周りにも、そういった心性の持ち主が多かったそうだ。
中には「救う」行為が上手な人もいれば、逆に下手に手を出して状況を困難にする人もいたという。
そして他ならぬAさんが、自身の「救いたい」気持ちが元で大変な思いをしたこともあった。
※Aさんはそれらの思い出についても語ってくれたが、非常にプライベートな話なのでここでは割愛する
興味深かったのは語りの内容だけでなく、語ってくれた理由。それはAさんの音楽鑑賞のあり方に関係する。
Aさんは音楽を楽しみ歌詞を味わうとき、曲や歌詞そのものを細かく分析したり考察するタイプではないそうだ。
むしろ、曲を聴いて引き出される自身の記憶や感情を、曲を通して味わう鑑賞方法をとるという。
だからAさんは、曲によって引き出されたそれらのエピソードを語ってくれた。
Aさんにとってはそれらの記憶もまた、『The hole』に抱く感情の一大切な部分なのだと思う。
歌詞の分析と考察が大好きな私とは全く異なるたしなみ方である。
そこには私が想像しえなかった、深くて豊かな鑑賞の世界があった。
自分とは違う鑑賞方法の人の考えを、ここまでじっくり聴ける機会ってなかなかない。
新しい発見に満ちた、とても刺激的な時間だった。
また、それだけ鑑賞方法が違うにもかかわらず、Aさんが語りの相手としてカニを選んでくれたのも興味深い。
Aさんによると、「カニブログを読んでいて、この人なら私の話を『こいつ何言うてんねん』と思わずに聴いてくれるだろうなと感じたから」とのこと。
確かに、この方の話は整然として筋が通っていたし、自身の感情を大切に丁寧に表してくれていたので、プライベートなエピソードでも受け止めやすかった。
もちろん「何言うてんねん」と思う瞬間は全くなかった。
これらは明らかにAさんの美徳によるところが大きいが、もしかしたらふたりの相性にも助けられていたかも。
鑑賞方法や考える内容は違っていても、考え方の核や、大事にしている信念が近かったのかもしれない。
その心性を認めて愛する
Aさんが対人支援職のプロとして特に強調されていたのは、
「相手を救うことで自分を特別だと感じられる心性」は誰でも持ちうるものだということ。
そして、この感情は決して悪いものではないということ。
客観的な人だろうと謙虚な人だろうと、この心性は多かれ少なかれ、いつでも、誰でもが持ち合わせているものだ。
だからといってこれは無くすべきものでも、全く出さないようにすべきものでもない。
なぜならこの心性は「人を助けたい」「困っている人を見捨てられない」という人間の善意とも密接に繋がっているから。
人が人とよい関係を築いていくためには、むしろ大切な機能ですらある。
重要なのは、そんな心性が自分の中にあることをきちんと自覚して、状況に合わせて必要な分だけ出せるようにすること。
認めまいと自分から切り離したり、完全になくしてしまおうとするとかえってよくない。
「自分ならこの人を救える」と思ってしまうこの心性は、自分の愛すべき一バカな面として、認めて愛してケアしていくしかないのだ。
Aさんが話してくれたなかで、印象的な言葉がある。
「この曲が聴けるようになってよかった。自分の心性を受け止められた(ということだから)。……ときどき切り離したくはなるけど」
曲を通して自分の心性に、そして葛藤に向き合っていける。
すごく素敵な鑑賞方法だし、素敵な人間性だと感じた。そんな話を聴けてよかった。
おわりに
「オタクの推し語りをじっくり聴いてメモを取り、それを言葉でまとめて後日送るサービス」
ご希望があれば今後もやっていきたいなと考えています。
今のところ、交通費+場所代(例えばサイゼリヤで話聞く場合、そのお会計)で承ることをイメージしています。
ご興味あればTwitterやブログコメントで気軽にご相談いただければと思います。
余談:プロの知的誠実さめっちゃ好き
ブログを書くにあたってAさんとご相談したことで、「さすがプロ~!」と思ったエピソードがあったので自慢します。
Aさんの語りの文字起こしを送り、内容の誤りやブログを書く上での注意点について相談していたときのこと。
元々の語りではとある専門用語(対人支援に関連する用語)が使われていたのですが、
「一般の方が専門用語の解説を読んで、伝えたいことの本質を理解してくれるか」
「その専門用語について検索してたどり着いた人がブログを読んだとき、どういう理解をするか」
を考慮した結果、専門用語を使わずに別の表現に置き換えることにしました。
第三者による誤用や誤解を防ぎつつ、私たちが共有した感情の機微をなるべくわかりやすく伝えるための判断です。
正直言うと私だけでは「専門用語使うから、参考図書を調べて解説を引用しよう」くらいの対応までしか思い浮かんでいませんでした。
一般の読み手がどう理解するかまで考えが及ぶところさすがプロ……尊敬しかない。
カニこういう知的誠実さのエピソードめちゃめちゃ大好きなので、気づいたらぜったい自慢したくなってしまう。