蟹を茹でる

カニ( @uminosachi_uni )のブログです

エモソムリエをやってる

最近、noteで「ひとさまの言葉にできないエモさ・良さを勝手に言語化する」という企画みたいなものを始めた。

「わー! このエピソード/歌詞/台詞がエモい! でも何と言葉にしていいかわからない!」みたいなお題を投げてもらい、
なぜ、どうエモいのかをカニが代わりに解説してみるもの。


最初は、リアルの先輩に教えてもらったエモい童謡を紐解いてみた。
ひとさまのエモを言語化する企画(テスト)|カニ|note

ていうより、この先輩の話を聞いてるうちに
「物事のエモを鋭く見抜くセンスと、エモを言語化するスキルって別物かもしれない」
「自分はセンスはないけど言語化ならできる。センスのある人が見つけたエモさを共有するお手伝いがしたい」
と思って企画を考えたという順番だった。


ありがたいことに、それを読んだTwitterのフォロワーさんが、エモいエピソードを色んな沼から送ってくれた。
現在は第3弾までnoteにアップしている。

それぞれがそれぞれに胸を打ち、でもそこには共通する「信頼」とか「尊敬」が見え隠れしたりして、
色んな沼をテイスティングするのはとても新鮮で貴重な体験だった。
(ちなみに「テイスティング」はお題をくれたフォロワーさんの表現。「エモのソムリエ」という命名もいただいた)


ただ現在、絶賛企画の方向性について模索中である。
「そもそもテーマをいただくのが難しい」「やり方合ってるのか」「これやっていいことなのかな……」など、いろいろ迷いが出ているのでまとめさせてください。
たぶん今回はマジでただの自分語りになる……


お題投げるのハードル高い問題

今までブログはずっと書いてきたし、Twitterでもしょっちゅう色んなことを(RADIOFISH中心に)呟いてた。

でも「他の人から依頼を受けて文章を書いてみる」経験はしたことがなかった。むしろ、したことがないからやってみたかった。


やってみて気づいたのは、そもそも「お題を投稿する=他人に依頼を出す」のって高コストだ、ということ。
たとえ無料だろうと匿名でできようと、相手が「気軽に送ってね!」と言ってても、
エモいと思ったできごとを思い出してまとめて、相手に通じる文章で送信するまでのハードルって実はすごく高い。
思い出して言葉にする頭脳的なハードルもそうだし、他の人宛てに直リプする心理的なハードルもある。


考えたら当たり前なのに、めちゃめちゃ盲点だった。
思い返せば自分も、何か思ったことがあっても直リプする勇気が出ず、そっとふぁぼしたり、スターいっぱいつけて画面を閉じるカニだった……だからTwitterにはエアリプって文化があるんじゃん……

先述の童謡のエモは、友達みんなで雑談してるときに出た話題。
「友達と話してる中で自然に出てくる」を「リプライやコメントで文章を送ってもらう」に置き換えたときの難易度の上がり方を考慮できてなかった。反省



そんな高いハードルを乗り越えてもらうには、条件がいくつかありそう。

  • 投稿者がめっちゃ脚長いorめっちゃ跳べる
  • 回答者が踏み台を用意してハードルを低くする
  • 投稿者が話したすぎてハードルを蹴倒してくれる
  • ハードルよじ登ってでも越えたいくらい回答者が魅力的
①投稿者が脚長い=ハードルを負担に感じない

「あれ? そういえばさっきちょっと段差あったな」くらいの勢いでハードル越えてくれる強者はどんなところにもいて、そういう人がコンテンツを応援して、広めてくれたりする。

エモソムリエ(沼ソムリエ)の例もそうかも。
普段からレポやブログを書き慣れている人たちは、「自分の心に刺さったことを思い出し、言葉で表現する」という行為に親しんでいる。だから、カニの企画にもお題を送ってくれたんじゃないかと思う。

きっとその方々なら自分たちでも言語化することはできるけど、「あえてまだ推してない、ジャンル外からの目線で言葉にしてほしい」と考えてリクエストしてくれた。


ただ、「言葉にできないエモを代わりに言語化する」趣旨の企画で、エモを文章で説明しないとお題を出せないの、けっこう根幹的な設計ミスな気がしてる。
誰でも合格って言ってるのに入塾テストあるみたいな設計……

②回答者がハードルを低くする

アンケートでも自由解答欄を埋めなきゃいけないのと、項目にチェックするだけのではかなり答えやすさが変わる。無記名かどうかも重要。

他の人に読まれるのが恥ずかしい(匿名希望)ならTwitterのDMで受け付けるとか、Googleの送信フォームを用意するとか。
もちろん、noteでの紹介時も無記名にして、文体も多少変えてわかりにくくできる。

文章化のハードルが高いなら、エピソードや歌詞、YouTubeのリンクを送ってもらうだけでOKとする。
フォロワーさんなら会ってお喋りするときに聞いてみるとか。

③投稿者が話したすぎてハードルを蹴倒す

そういえばお題を投稿して回答をもらう系のコンテンツ、「悩み相談」の割合がめちゃめちゃ多い。

悩み相談って

  • とにかく誰かに聞いてほしい
  • 違う視点からアドバイスがほしい
  • 近しい人にはちょっと言いづらい

の3点セットなので、ハードルを越えやすくて投稿が集まりやすいのかもしれない。

エモソムリエ(沼ソムリエ)にもその要素取り入れられないかな。
「近くに同じ趣味の人がいない! 推しの話を聞いて!」って方に話を聞かせてもらって、その魅力を自分なりに言語化してみるとか。近すぎて気づかなかった、当たり前だと思っていた、推しの新たな魅力をご提案できたら嬉しい。

あと純粋に、けん玉や香水やまるごとバナナが好きすぎる人の話、聞きたい。

④回答者が魅力的

これが一番難しくて、一番キーポイントな条件だと思う。
どれだけハードルが高くてやったことがないことでも、回答者がカリスマだったらどんな雑談でも聞きたいもん。中田敦彦のためだったら、アメリカから会いにくる人さえいるわけで……

カニの分析なら聞いてみたい」と思ってもらうためには、様々な経験をして、地道に続けていくほかないだろうなと思う。今後もいろいろ、ブログ書いたりコントつくったり思いつきで何かつくったりしていきたい。
それとは別にRADIOFISHとオリエンタルラジオの良さはみんなに知ってほしいので、彼らのブログも書き続けると思う。

ただ一方で、凄まじく魅力的なカリスマが「質問ありますか」と問いかけた時さえ、
ファンたちがアワアワするあまり質問が集まらなかった、というできごとも目にしたので
むしろ質問やお題が集まる状況が奇跡みたいなもんなんだという気持ちは忘れずにいたい。


エモを言語化する温度どうする問題

熱い長文感想や、考察ブログやレビューブログが好き。好きなグループについての語りを読むのはもちろん楽しいし、知らないグループでもその愛や推しの魅力がわかって好感を持つ。

ファンの語りは自分にとって、本のまえがきや論文のアブストラクトみたいな感じ。それを読むこと自体が楽しいし、まえがきやアブストが面白ければ本文を読みたくなる。
もちろん世の中にはまえがきや目次を読まずに本文に入る人も多いし、まえがきのない本や論文に要約をつけない学問分野もある。楽しみ方も作法もいろいろだと思う。

だから自分でも感想や分析を書くし、他の人が語りたいのに言葉にできないなら、それをお手伝いできたらと思っている。


一方で、RADIOFISHの『PERFECT HUMAN』がバズったとき、ネットニュースやコラムで「なぜ『PERFECT HUMAN』はバズったのか?」考察がたくさん沸き出したのは、苦い気持ちで見ていた。

たぶんRADIOFISHを好きでもない評論家が、話題性があるとかお金になるとかの理由で論評してる感じがわかってしまったし、
彼らの戦略性や曲の魅力を紐解くというよりは、「なぜ流行ったのかわからないから理屈をつけたい」という意図のほうを感じたから。


言語化の温度って難しいなと思う。

熱度でファンその人を上回るのは到底できないから、なるべく客観的なこころで見て、はっきり言葉にしようとしている。
自分なりには愛を持って、落ち着いて良さを分析しているつもりだけど、温度が低いと他人にとっては「理屈をつけてる」ように、「レビューサイトみたい」に見えるんじゃないか……という不安も実はある。

推しについて文章書く人なら、もしかしたら誰もが持つ不安なのかもしれない。
反対に熱すぎてぶっ壊れてても、「これ言ってること伝わる? 意味不明じゃない?」「うるさくない?」みたいな逡巡があるのでオタクは難しい。


分析していいのか問題

エモの解体新書、やっていいのか迷いもある。ファンのみなさん的にどうなのかな

「分解して構造を調べてみたいと思います!」みたいなの、「いや中がどうなってるかなんて見たら夢が壊れるからやめてよ!」ってタイプもいそうだなと思う。

ディズニーランドの興行的な工夫を例にすると分かりやすいかも。好きすぎてその工夫と管理技術の素晴らしさを全部知りたいマニアもいるし、好きすぎて何も知りたくないファンタジーであってほしいマニアもいるじゃないですか。


自分は感動するコンテンツに出会ったとき、そのコンテンツを胸のうちに抱えてよく考えて感想を書き出したりする。
知れることは知りたいし、戦略を聞きたい。推しの言葉はなるべく全部集めて考えたい。

考えて、言葉を尽くすことが敬意だと捉えてる節がある。
それは、自分がネタを作ってた時代に感想が何より嬉しかったからで、そして自分にできることがそれだけだから。要はエゴだ。

推しの煽りでトランスに入れる体質じゃないし、美的センスも高くないし、運動が壊滅的にできない。
時間と手間さえかければ誰にでもできる「言葉にする」を、時間と手間をかけてやるだけだ。それでも言葉に表せない煌めきがいくらでもあることを感じて、ひざまずくような気持ちで書く。


反対に、むしろ言葉にしないこと、できないことこそが愛だという人もいると思う。
推しの素敵さを丁寧に語るよりも、「ギャー! 尊いとにかく見て!」を連呼する方が、確かに真実っぽい(推しをキメてぶっ壊れてる感じが伝わる)。
フォロワーさんにもそういうタイプがいるし、彼らはパワフルでユーモラスで確固たる自分を持ってる方たちで、彼らなら言葉がなくても良さが伝わるんだろうと思う。


不完全な言葉にするよりも、そのままの大きな感情を抱えていたい。言葉にするより暴れたほうが伝わる。
推しが尊すぎて言葉を失ってしまう。

そのどれもが真実だと思う。自分もそう感じることがたびたびあるし、誰にも共有せず言葉にまとめず心に秘めたままのできごともある。


でもやっぱり、自分は存在や生きざまだけで良さを伝えられるほど人的魅力にあふれたコミュ強でもないし、暴れるほどパワフルでもないし
不完全でも新しい世界を開いてくれる言葉の力をめちゃめちゃ信じてるから、
これからも言葉を尽くしていくんだろうと思う。

これはどちらが優れてるとかではなく、世の中には多様な生き方や考え方があるみたいな話か。
どう思われるか考えるより、そう生きたいように生きるしかない……


ただとりあえず、「エモソムリエに背後からいきなり襲われました」みたいなことだけないように気をつけます。分析されたくないことを勝手に分析しない。
ちゃんと要望のあったときか、あるいは許可を得たときだけ動かします。





Twitter: カニ @uminosachi_uni
note: https://note.mu/bloodandsugar
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