「とりあえずビール」文化は、集団の成員と認められるための儀式である
なぜ「とりあえずビール」なのか
会社の飲み会とかであるじゃないですか。
最初の1杯は「とりあえずビール」みたいな風習。
あれよく考えたらすごいですよね。
だって、ビールですよ。
苦くて、炭酸で、しかもアルコール飲料なんですよ。
それが、さも当然のように「みんな最初の1杯は当然これでしょ!」みたいな顔でメニューの1番目立つところに鎮座してるのすごくないですか?
もちろん、「とりあえずビール」文化の利便性も十分わかる。
宴会である以上、はじまりに乾杯を持ってきて盛り上がりを作りたい気持ちは理解できる。
まずは幹事が音頭をとり、参加者をねぎらったり発破をかけたりする。
それから参加者全員、一体となって乾杯を行う。
各人がグラスをぶつけ合うことでコンタクトを取り、会話のきっかけとする。
その意義は大きいと思う。
最初にみんながじっくりメニューを見てしまうと、時間が掛かってなかなか会を始められない、という事情もわかる。
「とりあえず」を決めておくことで、悩む時間をなくそうという工夫は理解できる。
参加者が一斉にバラバラなドリンクを頼みだしたら、注文が煩雑になってアワアワするのも予想がつく。
皆で同じものを頼めば、ドリンクが来たときのあの「ゆずサワーの人ー!りんごサワーの人ー!」「あっ、これりんごサワーだからそっちがゆずサワーだ」の手間も省ける。
そして違う種類の飲み物は往々にして別々にやってくるので、「全員分揃った?」「カルーアミルクの人だけまだです」みたいな事態もよく起こる。
さらに、ビールには「注文してから来るまでが早い」という利点がある。
別のお酒を混ぜ合わせたり、水割りにしたり、温めたりする必要がないから。サーバーから注げば1発だから。
乾杯用の飲み物を人数分、手間なく素早く揃えたい、そんな需要を満たすのが「とりあえずビール」文化なのだろう。
「みんなで同じドリンクを頼む」ということも、一体感を増すために必要なのかもしれない。
でもそれ烏龍茶でもよくないですか?
なぜビールにしたんだろうか。
だって独特の苦味で、口腔内でバチバチ弾けて、しかもアルコール飲料なんですよ。
クセが3つもあるじゃないですか。
コーヒーと炭酸が無理な下戸には三重苦です。
しかもあいつ、制限時間めっちゃ短いじゃないですか。
「ビールは泡が命! 泡が消えたぬるいビールは美味しくない」みたいな風潮あるじゃないですか。
そのわりにはすぐ泡消えちゃうじゃないですか。
乾杯前に幹事や主賓が挨拶する宴会のシステムと、どうにも相性が悪い気がする。
ていうか「あいつのカルーアミルクが来ないからまだ乾杯できないじゃねーか」っていうあの怨念、どう考えてもビールが強めてると思う。
「お前のドリンクを待っているうちに俺のビールの泡が消えて不味くなっていく」ことを目前に突きつけるシステム、殺伐としすぎているのでは。
その点、烏龍茶ならビールより遥かにクセがない。ビールが飲めるなら烏龍茶の風味はだいたい誤差の範囲だろう。
炭酸が好きな人も苦手な人も飲める。
炭酸飲料しか飲めない信念の人がいらしたら申し訳ないが。
しかもソフトドリンクだから下戸にも飲める。
アルコールしか飲めない信念の人がいたら、その信念はやめたほうがいいし。
烏龍茶も氷が溶けきれば薄まってしまうものの、その制限時間はビールより余程長い。
カルーアミルクを待つ心の余裕も生まれる。
それに烏龍茶ならだいたいどこの居酒屋にもあり、イタリアンや和食のお店のメニューにも高確率で存在する。
サーバーから注げば済むから、頼んでから来るまでも早い。
「とりあえず」枠の筆頭候補だと思う。
そしてちょっと安いし。
やはり、「とりあえず烏龍茶」のほうが風習として優れているのではないか。
しかし、考えてみると。
もしかして、それらの難点をわかった上で、あえてビールにしているのかもしれない。
むしろ、それらの難点ゆえに、ビールは「とりあえずビール」の地位につけたのかもしれない。
試練を越える成人の儀としての「とりあえずビール」
先ほど、ビールは特定の人には三重苦だと書いた。
これに制限時間の短さを加えると、「とりあえずビール」には四つの試練があることになる。
もしかしたらこれらは、あえての試練なのではないか?
学校を卒業し、「カイシャ」という組織で成員として認められるために、乗り越えなくてはならない試練。
いわば、一人前と認められるために、崖から飛び降りたり獣を狩ったりするような「成人の儀」。
……を、すごくスケールダウンしたもの。
苦くて炭酸のお酒をぐびぐび飲めたら、成人として認められる。
ビールを美味く思えてこそ一人前の社会人だという意見は、冗談でなく主張する人が実際にいるし。
さらに、集団内の絆を再確認するための試練でもあるかもしれない。
各々が自分の好きなものを頼むのではなく、最大公約数的なクセのないものを頼むのでもなく、あえて、クセの強いドリンクを皆で揃って注文する。
四つの試練を越えて同じものを頼むことで一体感を高め、連帯の固さを確かめあう。
「他のドリンクを待っていると、泡が消えて不味くなる」という難点は、ここに至ってはむしろ有効にはたらく。
他のものを頼ませないための圧力として機能するのだ。
かくして集団内の構成員はほとんど全員、ビールを頼む。
ビールを飲めない人は、「飲めもしないものにわざわざ500円くらい払う」ことによって、この連帯に参加したこととみなす。
……という集団もあれば、飲めない人の存在自体許さない強烈な集団もある。
この、「一人前の仲間として認められるための試練」的効果は、残念ながら烏龍茶にはない。
飲みにくいドリンクでないといけないからだ。
でもそれ青汁でもよくないですか?
青汁なら、ちゃんと苦いし、飲みにくい。
でも慣れてくると美味しく感じてくるし(たぶん)、ビールと違って健康にもいい。
唯一「他のドリンクを待つと不味くなる」という圧力要素が足りないから、りんごのすりおろしも入れましょうよ。
なかなか来ないカクテルを待つうちに、どんどん茶色く酸化していくすりりんご。
それに伴いどんどんどどめ色になっていく青汁。
泡が消えていくビール以上に、見た目の圧力は抜群です。