カルピスの成長アルバムとオリラジの写真集の話
類似性の判定がザルである。
「〇〇って××に似てない?」と言って、友人から共感を得られた試しがない。
逆に、友人から「誰々と誰々は似ている」と言われたときは大抵共感できる。判断基準がずれているのではなく、たぶん『似ている』のハードルが低すぎるのだと思う。
そんな人間なので、私は「2Lペットボトルは、赤ちゃんに似ている」と思っている。
似てません?
あの、適度に縦長な体型といい、体長といい。
両手で抱っこするにはちょうどいいフォルム。
あともうちょっと厚みがあればパーフェクトではないか
いろはすのペットボトルならば柔らかくて脆弱で、「この子は慎重に優しく扱わねばならぬ」という使命感をより強く味わえるだろう
2000gだからやや軽いし、人間らしいぬくもりは当然ないのでものさみしいが……
グリーンダカラ等であれば、赤ちゃん特有のピュアな透明感もよく出るし、午後の紅茶には、セレブの家の子っぽさがある
個人的には、カルピスウォーターが一番赤ちゃんっぽいと思っている
ベビーカーに乗せてあげて晴れの日の公園で写真撮れば、それっぽさがより増すんじゃないだろうか。汗もかくし。
こんな空想はいつでもしている。大体の場合は「似てるな〜」と一瞬だけ思って、そのまま忘れてしまう。
でもその時はそうならなかった。最大の理由は、オリラジの写真集騒動があったことだった。
オリラジファンなら知ってるだろうし、ファンでないなら興味もないだろうから、事態の詳細は語らない。
個人的には、デリケートな題材を扱う以上、「変態」というパワーワードの使用には慎重さが必要なんだなー、と感じた。
(彼らが「変態」を良い意味で使用してるとしても、性的少数派からすれば侮辱的なワードに聞こえるのはふつうのこと。良い意味で言ってるから許されるというものではないのは確かです)
写真集は丁寧に作られてたけど、お笑いナタリーの宣伝記事などはそのへん軽率だった気がした
でも、反対派の批判にも納得いかない点があった。
「このSMでも過激でもない、同棲生活の日常を切り取った写真のどこが変態?」
「写真の内容は全く変態的じゃないんだから、同性愛を変態と決めつけてるに違いない!」
???
なんでSMを変態に売り渡したん? いや、批判のためにどうしても必要なら仕方ないと思います。被差別者が訴えるときに他の全ての少数派に配慮せよとまでは思わない。
でも、写真の内容が変態的かどうかは本質じゃないし(写真が過激ならお笑いナタリーの煽りが免罪されるとは、私は思えない。むしろ「同性同士の過激な写真集」を煽る行為は同性=過激という偏見を強化しうるし、ゾーニングの上でも微妙)
ある関係や性癖が変態的かどうかを部外者が勝手に決めつけ、「異性愛は変態ではないが、〇〇は変態」とジャッジすることの差別性を批判してたんと違うの?
過激なら、SMなら変態だとか、
単なる同棲の日常写真なら(たとえ、その2人の間に「単なる男性2人」を遥かに超えた関係性があっても)変態的じゃないはずだとか、
ぱっと見で変態性を「鑑定」するのは、流石にやりすぎじゃないかと感じました。
(そういえば、「普通の男女でも」変態的か、って指摘にも納得してないです。アップルトゥーアップルで男女お笑いコンビと比較してほしかったな
お笑いコンビの男性2人と、撮影のために雇われた無関係の男女を比べるのは、主婦が普段は残り物食べつつ時々ご褒美として行く週末のランチ代と、サラリーマンが毎日食べる平日の昼ご飯を比べるようなアンフェアさがある。
私は知らない普通の男女の同棲写真集には全然興味はないけど、もしもメイプル超合金が同棲設定の写真集を出してくれたら絶対に見たい。そういう人は多いのでは)
まあそういう経緯で(?)、コンセプトの変態性と、写真の過激さと、被写体の関係性、3つの連関についてもやもや考えてた
つまり、オリラジ特有の関係性があってこそ成り立つあの写真集の魅惑を、オリラジの関係性を知らない人たちが断じていたことに納得いかなかったのかな。
この辺について、何かしら自分なりに答えを出したくて
全く過激でない描写と、全く健全な表現と、全く性的でも暴力的でもない具体物を用いて、
何も知らない人がその写真だけをぱっと見ても何も感じないけど、「関係性」を踏まえた上で見たらその異常さや変態性がわかる、そういう写真を作ることはできないだろうか? と、考えていた。
で、思った。
「2Lペットボトルと赤ちゃんが似てる」というこのわけのわからない空想を使って、そういう写真が作れないかな?
この仮説を実証するために、まずは関係性を知らない状態で写真を見ていただきたい(統制条件)
ちなみにこの写真
ただの飲み終わったカルピスウォーターの写真。
これだけ見たら、単に「カルピスウォーター飲んだんだな〜」としか思わない写真
これが「変態」って宣伝されてたら、まるでカルピスウォーターを飲む行為自体が変態呼ばわりされてるように思われかねない写真
これを、「関係性」を踏まえて見たら変態的な写真に見えるようにしたい。という実験
というわけで、そのために、
《カルピスウォーターの成長アルバム》
を作りました。
カルピスウォーター(1.5L)を生まれたての赤ちゃんに見立て、家族写真を撮ってひとつのアルバムを作るというバグった企画です。
撮影を手伝ってくれた友人たちは、「お前が何を言ってるのかよくわからない」と言いながら快く引き受けてくれました。優しい。私だったら断ると思う。
次に、以下の写真を被験者に提示し、「関係性」を学習させた(実験風に)。
カルピスウォーターがおくるみにくるまれ、母親に抱かれている。写真のしたには母親の手書きコメント「生まれてきてくれてありがとう☆」
カルピスウォーターちゃんの命名の色紙。これには両親の「カラダにピースな子になりますように…」という願いが込められている。
家族写真には「新しい家族ができました! これからもよろしくね^_^」
アルバム、ずっとこのテンションで続きます。しかも写真が20枚近くある
こうして、我が家の新しい家族となったカルピスウォーターを愛おしみ
慈しみ、命名し
初めてのお風呂や初めての健診も逐一アルバムに収め、
カルピスウォーターと家族の関係性を存分に築いたのちに
アルバムの最後の1ページ
完成したアルバムを見た友人たちから
「最後ぞわぁ……ってした」
「単なる空のカルピスの写真やのに、ハンニバルを彷彿とさせる」
「変態性が強い」
「俺らは何をさせられていたの?」
などの感想を貰った。ただの飲み終わったカルピスの写真なのに。
まあ、「関係性」って重要だなー、印象に大きく作用するなーと思ったという
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そういう話です。
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