「肘掛け」と「膝掛け」、非常によく似た構造かつ発音の単語なのに、位置関係がちょうど逆ですね。
図解するとこうです。
肘掛けは肘の下に位置する。
つまり、肘を掛けるもの。
対して、膝掛けは膝の上に位置する。
つまり、膝に掛けるもの。
そう考えると、YOASOBI『夜に駆ける』を「よにかけ」と略すのは理にかなっている。
「よるかけ」だと夜に駆けるのか夜を駆けるのか、わからなくなるから。
「肘掛け」と「膝掛け」、非常によく似た構造かつ発音の単語なのに、位置関係がちょうど逆ですね。
図解するとこうです。
肘掛けは肘の下に位置する。
つまり、肘を掛けるもの。
対して、膝掛けは膝の上に位置する。
つまり、膝に掛けるもの。
そう考えると、YOASOBI『夜に駆ける』を「よにかけ」と略すのは理にかなっている。
「よるかけ」だと夜に駆けるのか夜を駆けるのか、わからなくなるから。
「吸血鬼がこの社会に実在したら、UberEatsは彼らの暮らしにどんな影響を及ぼしたか」を延々と考えました。全部フィクションです。
吸血鬼像は『吸血鬼ドラキュラ』を参考にしています。夜な夜な人の血を吸い、にんにくや十字架を恐れ、日に当たると焼け死ぬやつです。
※追記
大幅に改稿。「正体を隠して生活してる吸血鬼の増田」という設定にしました。
UberEatsで食生活が変わった。
家から出ないで色んな店の料理を食える。食べたいときに食べたいものが手に入る。
日中は家に引きこもってるしかない(日を浴びたら死ぬ)吸血鬼から見たら、こんなもん革命でしかなかった。それだけ、以前の生活が不便だったともいえる。
吸血鬼が外出できるのは日が落ちてから。
自炊スキルがあるやつは昼ごはんを作ればいいが、ないやつは冷凍食品や惣菜、お弁当の買い置きに頼るほかない。
最近の冷凍食品は確かに美味しくなった。人間すごい。ありがとうニチレイ。でもどんだけ美味くても飽きるときは飽きる。
「吸血鬼がメシにこだわるなよ」そういう人間目線もあるだろう。わかる。でもいくらメインの栄養源が別にあっても、美味いもんは食いたい。できれば毎日違うものを食いたい。
舌で味わうこと、噛んで飲み込むこと、そこに生の実感がある。人間も同じはずだ。
もちろん前から、グルメに詳しいやつはお取り寄せグルメなんかを使ってた。お前もそういうの駆使しろと思うかもしれん。
だが、それらは家に届くまでに日数を要する。
注文品が届くのを、楽しみに待てる気分ならいい。
でもあなたにもあるんじゃないか?
急に「ハンバーグ食べたいな」と思うとき。お腹がすいたのに家に何も食べ物がないとき。
そういう時にお取り寄せは非力だ。いますぐ決済ボタンを押しても、お腹いっぱいになるのは半月後の自分。
というか、常に買い置きを忘れないのが無理。逆にあれできる人は何ゆえできるの? 転職の自己アピールに使えていいレベルのスキルだろ。
俺はしょっちゅうとろろ昆布食いながら日没を待ってる。とろろ昆布は好きだが、食べたなって感じはあまりしない。
じゃあ日中は寝て夜中に出かけろ? 一理ある。そういう伝統的な生活してるやつもいる。日の出とともに眠り、人々が寝静まってから起きてる。スマホ持つのも禁止らしい。娯楽何なの?
ただ、それで吸血鬼の食生活を充実させるのは厳しい。特に田舎暮らしやと無理。夜中開いてるのはコンビニだけ、むしろコンビニすら夜8時とかに閉まる。
東京に住めば楽園か、というと違う。
だって夜中に開いてる店はジャンルが限定されてる。
ラーメン好きならまあまあ楽しいと思う。東京なら、夜中や明け方まで開いてる店もそれなりにある。居酒屋やバーも。
でも、焼き芋や鯛焼きを愛する吸血鬼はどうか? パン好きは? みんながみんな脂と血の気の多いもん好きなわけではない。
無数の飲食店がある東京でさえ、真夜中にやってる焼き芋屋や鯛焼き屋はほぼない。
グーグルマップで夜間営業の店見つけて、はるばる出向いたら閉まってたとかザラ。
マップを頼りにウキウキして店についたら、シャッター降りてる虚しさよ。*1
チェーンのパン屋なら夜遅くまでやってるとこもある(ありがたい)。でも個人営業だとほぼ夕方に閉まる。
テレビや雑誌で美味そうなパン屋見つけても、自分では行けない。たとえ、遅くに開いてる店に日没後駆け込めても、お目当てのマロンクリームパンに出会えることはない。なぜならそのパンは、開店前から列に並べる人間も狙っているから……。
あと吸血鬼によっては寝過ごす。夜型の人間がいるように、朝型の吸血鬼もいる。人間の大学生が1限に出られないのと同じで、だらしない吸血鬼は夜はやくに起きられない。
0時回って目が覚めたら、テレビで話題のパン屋とか言ってられない。頼みの綱のヴィドフランスも閉まってる。
「冬は日没早いから、早起きして夜7時まで開いてる祖師ヶ谷大蔵のパン屋に行くぞ~!」と張り切ってたのに、ローソンのブランパンをかじって泣いてる。まあそれは俺がだらしないせいか。
でも、だらしない人間も昼間にうまいパン食えてるのに、だらしない吸血鬼はうまいパンを食えない。
あと最近はコロナの影響がやばい。吸血鬼は病気にならんし移さんけど、飲食店の時短営業には影響受ける。せっかく外に出れるのに、日没と午後8時の隙間みたいなタイミングでしか外食できない。困る。5~8月は特にキツい。
でも飲食店は吸血鬼の1万倍困ってるやろうな。
ひとことで言えば、めちゃくちゃ食生活が充実した。
いつでも家からごはんを頼める。
家にマヨネーズしかない昼下がり。誰しもあるだろう。そういうとき前の俺はマヨネーズ舐めながら水を飲んでしのいだ。
でも今はUberが来るのを待てばいい。うっかりバンパイアでもまともな食事ができる。ありがたい。
買いに行くより割高でも、外に出られない者にはほんまに便利。
あと最低注文金額がない。「どうしてもピザ食べたかったからMサイズとサイドメニューいっぱい頼んだけど、多いな……」と途方に暮れなくて済む*2。
しかもこれまでの出前より、圧倒的にジャンルが幅広い。
有名チェーン店からランチ営業のみの個人店まで。
中華料理、ピザ、お寿司とかの王道だけじゃなく、ドイツ料理やエジプト料理も食える。
個人的にはスイーツの群雄割拠がやばい。クレープ、プリン、タピオカ、フルーツサンド……。こういう店はたいがい閉店早いので嬉しい。ほんで焼き芋専門店あるやん! 天才か?
都市圏に住んでたら使わない手はない。
もちろん、テレビで紹介される店みんながUberEatsやってるとは限らん。今でもまだまだ吸血鬼に手の届かない食は多い。
でもこれまでは、家から徒歩3分のカフェのチーズケーキさえ食えなかった。営業時間が11~17時という理由で。真っ暗な店の窓に張られた、美味しそうなケーキの写真を時々眺めるだけで、そこに手が届くことはなかった。
俺は先月はじめてそのケーキを食べた。Uberで。
これまで、昼間しかやってない店のメニューを食べるには「近所の友達に頼んで買ってきてもらう」くらいしかなかった。友達のいない吸血鬼は詰んでた。
コミュ強の吸血鬼さえ、そういうのはけっこう苦労してた。
吸血鬼は日が落ちてから出歩く。必然的にリアルで出会う人間は大抵夜型。それか永遠に起きて動いてるみたいなやつ。休日の日中は寝てるか出かけてるかの2択。おつかいさせるのは気がひける。
それに、自分で買いに行けないもっともらしい理由がいる。本当の理由は当然話せない。毎回風邪引いてるわけにもいかない。
家まで来てもらうのもハードル高い。窓をふさぎカーテンを閉め切り、日光を極端に遮断した我が家。人間が見たらかなり異様。
こっちは下手に詮索されたくないし、余計なことに首突っ込まれたらそいつの身も危ない。
「光線過敏症(日光アレルギー)って嘘ついたら?」と思った人間もいるかもしれないけど、それだけは絶対に嫌。
非当事者が都合良く当事者になりすますとか、下劣すぎるから。チーズケーキのために倫理観捨てたいやつおるか?
「吸血鬼だって『日光を浴びられない』困難は同じ。悪質ななりすましではないし、許される」
そう考えた人がいるなら、たぶん優しくて感情移入しやすい人だろう。
でも、彼らの苦難は吸血鬼のとは違う。そもそも人間は昼行性、夜型でも大概昼過ぎには起きてる。伝統的な吸血鬼の生活リズムには体がついていかないだろう。
何より人間社会は昼を中心にしている。役場や銀行は夕方に閉まる。学校や職場は「夜に通える」を条件に入れると著しく選択肢が減る。
家族や友人も、大概昼型の生活スタイルだろう。一緒に遊びたくても、我慢することがたくさんあるだろう。
夜中に出歩いても、気の合う夜型人間に出会えるとは限らない。ていうか危ない。犯罪被害に遭ったやつを「夜遅くに出歩くからだ」と非難する人間までいる。人間て人間の敵なんか?
吸血鬼には、夜は自由で安全な時間だ。でも人間にはそうじゃない。
昼行性なのに昼に動けない、人間なのに人間のシステムから排除されやすい。夜だって彼らには優しくない。
それはやっぱり、吸血鬼が経験しえない生きづらさだ。
その上、吸血鬼が身にしみてる食生活の不便は、大体彼らも感じてるはず。
家族におつかいを頼めても、「他人の善意に頼らないと、みんなが当たり前にやってることができない」というのは恐ろしく気が滅入る。
しかも彼らにはそれがメインの食事で、食えなければ死ぬ。吸血鬼とは真剣さが違う。
それを「チーズケーキが食べたい」が動機で詐称するのは、いくらなんでも魂の次元がショボすぎる。吸血鬼に魂があるか知らんけど。
絶対やりたくない。もし父親*3がやってたら絶縁する。
そういう意味でも、UberEatsはマジでありがたい存在。チーズケーキと倫理観を天秤にかける必要がなくなったから。
ちゃんと金払って注文してるってことは、ちゃんと働いて金を得ている。意外やと思うけど。
というか、吸血鬼だって暮らしていくにはけっこう金がかかる。
東京23区に住むなら狭いアパートでも6万はする。できればセキュリティがしっかりしてて、隣人との交流が少ないところがいい。昼間に空き巣で窓ぶち割られたら死ぬから。
「家では寝るだけ」タイプの吸血鬼は、家賃節約のために同居しがち。ワンルームに棺が4台並ぶ光景を見たことあるけど、吸血鬼が見ても異様だった。
人間の生活にかかる費用はだいたい吸血鬼にもかかる。人間社会で生きようと思えばそうなる。
安く上がるのは食費と、医療費・保険料。吸血鬼にとって食は大事だが、生命維持には必要ない。
あと医者にはかかる必要がない。すぐ治るとすぐ死ぬの2択しかない。
吸血鬼が賃金を(まっとうに)得る手段は2つだ。
Webデザインや動画編集なんかができるやつは、元々フリーランスで在宅ワークしてた。
そういう技術なかったり、固定収入がほしいやつは夜勤に入ってた。
短時間だけ自由な時間に働きたい、でも専門スキルがないやつには、内職かウェブライターくらいしか選択肢がなかった。
UberEatsの労働、吸血鬼にハチャメチャ向いてた。
特に吸血鬼に上2つは重要。面接で自分の来歴を説明しなくて済み、素性を探られることもない。複雑な手続きも厳密な契約もなく、身分証と銀行口座さえ調達できればOK。
稼働時間を選べるのも嬉しい。日没後なら屋外で活動できるから、夏は遅めに・冬は早めに働きたいし。本業をやりながらUberで働いてる吸血鬼もいる。そんなに働いて何がしたいのかは知らん。吸血鬼にも意識高い個体はいるわけだ。
「通勤時間」が存在しないのも地味に助かる。夜勤だと、勤務開始は日没後だが、仕事場へ通うには夕方に家を出ないと間に合わない……なんて理由で諦める場合もあるから。
技術や知識がいらないのも良い。極論、自転車が漕げてスマホの地図が読めて体力があれば(つまり『若い健常者なら』そこそこ誰でも)できる仕事で、ということは吸血鬼にも向いてる。
UberEatsでの労働には、さまざまな問題点が指摘されている。
人間にとっては重大なリスクだろう。事故を起こせば最悪人生がめちゃくちゃになりかねないのに、まともな保障がないのだ。ちょっとした金で、あまりに大きな自己責任を負わされている。この状況は改善されるべきだと思う。
ただ、これらは吸血鬼には大した問題じゃない。
まず、吸血鬼は人間ほど生活費がかからない。究極的には家賃を払えて、家を追い出されなければ生きていける。老後も、『万一のとき』も、家族ができた場合の人生設計も、吸血鬼にはない。つまり貯蓄の必要が薄い。ずっと若いままだから、将来を真面目に考える必要も本来ない。
そして吸血鬼は人間よりよほど丈夫だ。病気にかかることもないし、トラックに轢かれても数十秒で元通り。事故は怖くないし*4、働けなくなるリスクもない。
体力値もかなり高いので、一晩中自転車を飛ばすくらいは平気。とはいえ夜中には注文がほとんどないが。
もしかすると、UberEatsは労働者を吸血鬼だと思っているのか? ありうるが、それなら吸血鬼が昼間に働けるモビリティを開発してくれ。
とはいえ、もちろん吸血鬼にも困りごとはある。そのひとつは、依頼を受けるまで注文内容(店名・配達先)がわからないこと。配達先は遠くても平気だが、店名がわからないのはかなり困る。
察しはつくだろう。にんにく料理だ。
受けた依頼が中華料理だと少々身構える。店内では息を止めて料理を受け取り、極力素早くバッグに仕舞う。
にんにく料理専門店となると、息を止めようが目にしみて涙が止まらず、店内にさえ入れない。泣く泣く依頼をキャンセルして、案の定評価を下げられる。
UberEatsが人間の労働者保護に動くのが先か、吸血鬼のにんにく問題を解決するのが先か、今後も見守りたい。
※追記
2021年5月より、リクエストの段階でピック先の店名を事前確認できるようになりました。にんにく問題の勝ち。
一方で、吸血鬼ならではの問題もあった。それが「UberEatsの注文、招待とみなせるのか問題」だ。
実は吸血鬼、家人に招待されないと家に入れない。
UberEatsの普及当初、これが世界の吸血鬼たちに大論争を引き起こした。
注文品を届けるためには、家の庭やマンション内に入る場合も多い。敷地の外にインターフォンがあれば許可を取れるが、マンションだとインターフォンが各戸にしかないことも多い。
敷地に入らず許可を取るために、マンション前でわざわざ電話することになる。人間にとっては不要な手間だ。そこで利用者が応答しなければ、配達を諦めるしかない。そのせいで低評価をつけられる吸血鬼も多かった。
そこでUberEatsで働く吸血鬼から、「UberEatsの注文それ自体を招待とみなすべきだ」と提起があった。許可取りの手間を省けて労働者も利用者もWin-Winだというわけだ。
だが、これには根強い反対があった。吸血鬼による悪用が懸念されたからだ。UberEatsの注文をそのまま招待だとみなせば、悪意ある吸血鬼は注文者の部屋に入り放題。
吸血鬼は高潔を美徳とするだけに、こういう姑息な手口をとにかく忌み嫌う。利用者の善意に頼るより制度設計で不正を防ごうぜ、と考える人たちなのだ。
そもそも人間がUberEatsを使うとき、配達者を家に招こうと考えているはずがない(吸血鬼が注文するときだってそうだ)、人間のプライバシーと安全を守るべき、という意見が出た。
再反論も加えられた。
ひとつは、吸血鬼の権利制限への批判。
人間の安全のために、吸血鬼の働く自由が侵害されていいのか。逐一電話で許可を求めるのは負担だし、低評価が続けばUberEatsで仕事を続けられなくなる。
もうひとつは、悪用は単に「そいつのせい」だから俺たちとは関係ない、という声。
招待を悪用する吸血鬼がいても、「それはそいつだけの問題で、吸血鬼みんながそうじゃない。だから他の吸血鬼が人間のために何かしてやる義理もない」というわけだ。
さらには「悪人は現に侵入しているのに、吸血鬼だけが排除されるのはおかしい」とまで。
別に高潔じゃなくてもいいけど、ここまで無責任で想像力がないのはどうなんだろうな。
吸血鬼と人間では力の不均衡があると、こいつらは考えつかないんだろう。人間がどれほど犯罪を恐れ、気を遣いながら生活しているか想像できないんだろう。
これは個体じゃなく、構造自体の問題だ。吸血鬼全体で悪用を許さない意識を持って、悪用を防ぐ仕組みを考えるべき課題だ。
そして「悪い人間は侵入できる」というのは(それ自体大きな問題だが)吸血鬼の侵入を許す理屈にはならない。
議論は荒れに荒れたが、人間の安全と安心を最大限尊重しながら、できる限り吸血鬼の働く自由を保護する方向にまとまった。本心では不満を持つ者も多かっただろうが、建前では良識的に振る舞うのが吸血鬼なんだろう。
結果、『UberEatsの配達依頼はマンション共用部分に入る許可だとみなせるが、専有部分(私室)への招待とはみなせない』と裁定された。
この運用なら吸血鬼も人間と同様に働ける。一方で部屋に侵入はできず、人間の安全も守れる。この裁定は運輸業にも適用されて、吸血鬼の働く自由はむしろ拡がった。
これを読んでくれた人へ。時々でよいので、吸血鬼の生活を想像してくれたら嬉しい。
聞きたいことがあったらコメントしてくれ。
私は健常者だ。
いまのところは。
この世界では。
マッチョが多数派の世界を、ときどき想像する。
階段が「福祉」として扱われる世界を。
ちょっとでっぱりのある壁の前で、
あるいは2mの崖の上で立ち尽くし、
自力で移動できない自分を、ときどき想像する。
忙しそうなマッチョ駅員に協力してもらって、
数人がかりでロープで引き上げてもらって、
恐縮して何度も礼を言う自分をときどき想像する。
「階段を設置してください」と自分でお願いせねばならない非マッチョの自分を、ときどき想像する。
『ときどき』想像すること自体、私の特権性です。
私は、階段を見るたびにその可能性に直面しなくてもいい。
常にそのことを考えて生きていかなくてもいい。
わざわざ私たちのために階段を設置していただいてありがとうございます、という態度をとらなくてもいい。
階段があることで、私は配慮されている。
誰に手伝ってもらわなくても階段を上れて、下りられる。
急いでいるなら駆け下りられる。
疲れたときはエスカレーターに乗れる。
上ろうと思ったけど何か思い出して引き返せる。
一旦ホームに下りたけど、次の電車まで意外と時間あるから上ってトイレに行ける。
私はそれをまあまあ頻繁にやる。
計画性がないから……
ていうか前日夜に「明日古代エジプト展行こう!」と思い立ったり、
買い物行く予定やったのに当日雨強いから延期したり、
10時に出かけるはずがなぜか片付け始めてて10分遅れで電車へ急いだり、
そういうのも、階段が当たり前にあるおかげでできてる。
こんなに計画性がない私が、そのことで誰にも迷惑をかけない仕組みができている。
だから計画性のなさを、
「悪意がある」とか
「ちゃんとする気がない」とか
「傲慢で自分勝手だ」と見なされずに済んでいる。
誰にも責められずに済んでいる。
数日前から計画を立てて関係各所に連絡しなくても、
タクシーにお金を使わなくても、
わきまえて常に感謝を忘れない人格でなくても、出かけられる。
マッチョと同じように自由に出かけられるよう、階段の設置を呼び掛ける活動に時間やお金を割かなくても、最初から階段が使えてた。
相当甘やかされてるな。階段に。
思ってた以上でちょっと引いています。
こんだけ階段に甘やかされてるのに、感謝の気持ちを忘れたことがなかったか? なかったと言えるのか? 私は。
ていうかこれ、身体障害と発達障害重なったらハードモードすぎない?
(検査はしてないけどおそらく)定型発達範囲内の計画性なしうっかり人間でも、階段という配慮がないだけで生活が破綻しかねないのに。
そもそも発達障害の特性である、衝動的な行動や表情・態度によるコミュニケーションの不得意は、「自分勝手、自己中」だの「他人に冷たい、何とも思ってない」と曲解されやすい。
身障者が健常者と同じように自由に動きたいと主張すると、「わがまま」だの「悪意がある」と言われる。
困難が合体してしまう。
まあ態度がでかい人がむかつくってのはあると思うんですよ。
計画性なくて思いつきでふらふら行動するやつも、きっちり気遣い几帳面タイプからしたら腹立つでしょう。
思いつきで行動して親きょうだいからまあまあ怒られてきたからわかる。ごめんね親きょうだい……
たぶん親きょうだいには「この子態度でかいな」とも思われてたかもしれない。接しててそんな感じするもん。
もちろん態度いいに越したことないし、きっちり計画立てて空気読んで動いてどんなイレギュラーが起きても常に機嫌よくいられたら素晴らしいことですよね。
ただ、社会にあらかじめ配慮されているから(健常者だから、定型発達だから)クズがばれてないし誰にも怒られてない人間もいっぱいおるやろなって気はする。
健常者が迷惑をかけないで済む仕組みが世の中に用意されているから、たまたま誰にも迷惑をかけてないだけの人間もきっといる。
そうなってくると、ほんとに態度が悪いから怒られてるのか障害があるから怒られる羽目に陥ったんか、迷いが生じてきます。
人間の性格に責任があるのか、仕組みがうまくいってないのか。二者択一というよりはグラデーションなんかな。
「たまたま迷惑かけてない不器用身勝手人類も全員許しちゃだめです」って考えなら前者を重視するんでしょうし、
「性格に問題あっても迷惑かけてないなら怒られたくないな」って考えなら、迷惑かけないですむ社会の仕組み(または迷惑をかけあうことで成り立つ仕組み)を追究したら良さそうだと、個人的には思います。
以前、右利きの人にアンケート*1をとってみたことがある。
多くは、「右利きで得したことがない」らしかった。
ないの?
ひとつも?
ほんまに?
考えられる可能性はふたつある。
彼らは、右利き用のハサミを使ったことがないのかもしれない。右利き用のカッター、右利き用の包丁も。紙は手でちぎってたか、左利き用の道具を使ってたのかな。あっ裁断機なら利き手あんまり関係ないか。毛筆で漢字を書いたことも、鉛筆で横書き(左から右)の文章を書いたことも、自販機を使ったことも自動改札機を使ったこともないだろう。カウンター席の間隔狭い飲食店で隣の人とひじがぶつからなかったこともなく、複数人でテーブル席につくとき、席順を気にしなかったこともないかもしれない。
または、彼らは「右利きで得した」と認識したことがない。
右利きと左利きの体験の違いは、左利きが不便を感じる形でしか浮き彫りにならないんだと思う。ほとんどは。
それは別に右利きの人が悪いわけではない。
気づかないのは、冷たいからでも自己中心的だからでもない。
たぶん構造的な問題。
おそらく、というか絶対に、わたしにも全然認識できてない「多数派で得した」があるし。
そういうものなんだという……そんな感じです。
生食パン
生じゃなくない?
焼いてない?
なんか五七五っぽくなった。
上五が字余りやけど
季語もないけど
(ググった限り「食パン」は季語ではないらしい。いつ食べても旨いからかな)
最近流行りの生食パンと呼ばれるものたち、生ではない。
生焼けでもない。
焼いてる。
ちゃんと焼いてある。
火が、通ってる。
生地を金型に入れ、オーブンでふっくらと焼き上げ、金型をとんとんしてあつあつほかほかの食パンを取り出す工程を、経ている。
逆に、ほんまに生やったら問題が起きる。
食パンの生地(焼成前)を「生食パンです」って出されたら、客キレると思う。
ほんまに生やったらあんなに流行ってない。
でも生の食パンって、本来それのことでは?
食パンを「生食パン」って呼ぼ、って考えた人すごいわ*1。
つまりトーストを「焼き食パン」と捉えてるんやろうな。
「食パン」という存在を、生地→食パン→トーストの3段階で進化するものと考えた場合、
2段階目での進化ストップが推奨される種類(およびその2段階目)を「生食パン」と呼ぶのか。
ライチュウに進化させずに、ピカチュウのままお召し上がりください、というのが生食パンなんですね。
生=「サトシの」
食パン=「ピカチュウ」
こう置き換えると、食パンの生地(焼成前)を「生食パンです」って出された客がキレるのもわかる。
「サトシのピカチュウです」ってピチュー出てきたら意味わからへんもんな。
ついでに生パスタのことも考えてみる。
あいつも、麺が茹でてあったとしても「生パスタ」と呼ばれる。
なぜならあの「生」は火が通ってないことではなく、乾麺でないことを意味しているからだ。
だとすると、ある意味、乾パンでないすべての食パンは「生食パン」だと言えるのかもしれない。つまりすべての食パンのトーストは、生食パンのトーストだと言えないこともない。
もう訳わからん。
いやしかし、サトシのピカチュウ的な意味の生食パンをトーストにしたやつ(=嫌がるピカチュウを無理やりライチュウに進化させたやつ)も、「生食パンのトースト」になるのか。
*1:考えた人すごいわは生食パン専門店ではない
紅茶は微糖じゃないやつが好き、カニです。
なぜかわかりませんが、無糖、加糖、微糖の順に好きです。どうも無糖と加糖のあいだに不気味の谷みたいなやつがある。
こちらの商品です。濃縮紅茶ベース、税込540円で500ml。
ちなみにブラックティー(加糖)のほかにも、ブラックティー(低甘味)、ブラックティーレモン(加糖)、アールグレイ(加糖)がありました。
無糖はないみたいです。たぶん砂糖入れないと日持ちしないのかな。
氷を入れたグラスに紅茶ベースと水を注ぐと、手軽にアイスティーが作れます。
茶葉やティーバッグ、粉末タイプはいずれもお湯で淹れるか、水出しならじっくり待つ必要がありますからこれは便利。
公式の推奨比率は1:4。味わいはかなり甘めですが、ちゃんと紅茶の風味があります。わざとらしくない香りで飲みやすい。
そしてこの紅茶ベース、アイスティー以外にも色々な用途に使えます。
氷水以外にも、炭酸ソーダやお酒で割ると美味しいらしいです。ただカニは炭酸とアルコールがだめなので飲んだことはない。
レモン汁を加えると手軽にレモンティーができます。レモンの酸味がきいて美味しいです。さっぱり飲める甘酸っぱいドリンクになります。温めて飲んでもホットレモネードっぽくなって美味しそう。
牛乳で割るとお手軽ミルクティーになります。
牛乳自体にも脂肪分と甘みがあるため、水割りに比べてかなり甘さを強く感じました。なので水割りより薄めに、1:5くらいがほどよい比率だと思います。すっきり飲むなら、ベース1:水2:牛乳2。
牛乳のみで割ってアイスで飲むと、「ミルメーク(紅茶味)」みたいな味わいです。懐かしい味のスイートな飲み物。
水250cc、粉寒天2g、紅茶ベースお好み、で1人分の寒天ゼリーが作れます。紅茶の香り感じるシンプルで大人なデザート。透き通った琥珀色のビジュアルも美しい。低カロリー低脂質、食物繊維豊富なのでダイエット中でもいけます。
ゼリーにすると甘さ控えめに感じられ、さっぱり食べられます。もっと甘く、もっと紅茶を感じたい! という方はベースを気持ち多めに入れるか、完成したゼリーに追いシロップするとよさそう。
水100cc、牛乳150ccでミルクティーゼリーにするのも美味しそう。ミルキーでほんのり甘い寒天ゼリー、次試してみます。
上記レシピを参考に、砂糖を紅茶ベースで置き換えて作りました。
これはかなりうまい……! しみしみじゅわじゅわのフレンチトーストがそもそも美味しいのに、紅茶の風味が高級感を加え、味に深みを出している。雑に作ったのに丁寧な暮らしの味する……。
メープルシロップかけて食べたら最高でした(これもカルディで買った)。紅茶ガチ勢は紅茶ベースをシロップに使うのがおすすめです。
個人的にはバターひかなくて良いと思います。卵や牛乳の独特なにおいは紅茶でカバーされるし、むしろバターと紅茶の香りが打ち消し合っちゃいそうなので。バターを控えたカロリーをシロップにつぎ込もう!
今回合わせたのは、エッセルスーパーカップミニ《クッキーバニラ》! 近所のスーパーで見かけて速攻買いました。ちなみに《超バニラ》と《紅茶クッキー》も気になる……! 紅茶クッキー×紅茶ベースとか絶対美味しいもん。
アイスクリームの上から紅茶ベースをかけるだけ。美味しくないわけがないやろと思って食べたけど、美味しくないわけがなかった。罪深い味する……。この際カロリーとかは気にしないでおきましょう。
ほかにはカッテージチーズと混ぜてみたり、フルーツにかけてみたりしました。好みは別れそうですが、チーズと合わせるのはけっこう美味しかったです。
紅茶ベースはまだたっぷりあるので、他にも色々アレンジしたいです。ホットケーキミックスに混ぜて紅茶パンケーキつくるのは絶対やりたい。
王冠形の金属のふたがはまっていて、栓抜きがないと開けられません。下戸ひとり暮らしの我が家にそんなものないので、カレースプーンと意地でふたを破壊してこじ開けました。
王冠のふたとは別に、プラスチック製のキャップもついています。王冠のふたは破壊してOKです。
瓶の口が丸くなっていて、液だれしやすいです。こまめに拭いています。
本当に甘かった。シロップとしてお菓子に混ぜたりかけたりするには最適の甘さでした。
アイスティーで飲むには、私にはちょっと甘すぎたかも。たぶんブラックティー(低甘味)でも十分に不気味の谷を越える甘さだと思います。今度は低甘味を買ってみたいです。
脈絡ないですが、最後にカルディの短歌を置いて終わります。
この前「カルディ楽しいけど通路狭いな」って気持ちを短歌に詠んだのですが、今日行ったら通路が広くなっていたので(ありがたい!)、TLに流して供養しておきますね #tanka
— カニ🦞 (@uminosachi_uni) 2021年3月6日
カルディで咳する人とすれちがう今日はご飯の前にお風呂へ
カルディの出口に象が横たわり皆やむをえずそこで暮らした
※本記事はnoteから移植しました。
ほんとうにテキトーな話をするのが好きだ。
意味がなくて、記憶にもあまり残らず、楽しかったことだけ覚えてるような会話。
こないだは友人と、『焼き肉 横綱』という店名について話した。
焼き肉屋やラーメン屋などガッツリ系の店名として、『横綱』というのはよく見る気がする。
では、他のスポーツでもそういうのってあるのだろうか?
たとえば『喫茶 盗塁王』とか……(「あったとしてもホームラン王やろ」と突っ込まれた)
そこから、友人4人で検索大会。
スポーツの階級名とか、印象的な用語がついてる店をググった。
『イタリアン バロンドール』と『ラーメン ホームラン』が見つかった。
まずまずの収穫である。
さすがに『喫茶 盗塁王』はなかった。というか『盗塁王』という店名自体が見つからなかった。たとえ良い意味の単語でも、あんまり店名に「盗」って入れないか。
さらに派生して、友人から疑問が呈された。
「野球やサッカーはわかるけど、卓球にちなんだ店名もあるんかな?」
ちなみにその友人は、自分で調べて
「見て! カットマンって名前の美容室あったで!!」と嬉しそうだった。
たぶんそのカットマンは卓球関係ない。
※本記事はnoteから移植、加筆修正したものです
「歴史は流れで覚えろ!」ってアドバイス、聞いたことはありますか。
私はあります。
歴史が得意な人に勉強法やコツを聞くと、言ってくれがちな一言だと思う。
(ここでの「歴史」は受験科目としての日本史・世界史で、専門教育・学術研究レベルは含まない)
なるほど素晴らしい教訓が一文に凝縮されている。「ズバリ!」という効果音を付けたくなるような寸鉄である。
しかしこの明快で一見わかりやすいこの言葉、ひとつ引っ掛かることがある。
『流れ』とはいったい、何を指すのだろうか?
歴史の『流れ』なるものの正体を考えてみよう。
それは、おおむね以下のように説明されることが多い。
なるほど!
『流れ』とは出来事同士の因果関係であり、大きなストーリーである。つまり歴史を覚えるには、個々の出来事が「なぜそうなったのか」を理解しながら勉強していけばいいんだな!
そうか……
なるほどな……
……それって、とても難しいことではないだろうか?
出来事の因果関係を踏まえてストーリーを形成する(=『流れ』を覚える)には、かなりたくさんのハードルをクリアする必要がある。
確かにこれだけの課題をこなせるくらいなら、その人は歴史の勉強ができるだろう。
つまり、歴史を『流れ』で覚えられる人は、歴史が得意だと言える。
しかしこれらは、歴史が得意な人だからできるのではないか。
または、歴史が得意になった結果、因果関係やストーリーを高い精度で組み立てられるようになるのではないか。
少なくとも歴史が苦手な初心者に、「まずはこれさえ覚えればよい」として授けるタイプのアドバイスではない気がする。初手でやるには高難度すぎるからだ。
むしろ暗記さえあやふやな初心者が『流れ』を自分で組み立てようとすると、因果関係を誤読して覚えてしまう弊害が大きい。
これは余談だが、印象的なエピソードなので聞いてほしい。
京大の入試に2回合格した先輩の話だ。
国語が得意な彼に「国語の問題の解き方、コツはありますか?」と尋ねてみると、彼は答えた。
「国語なんて問題文に答え全部書いてあるやん」
その場にいた理科系学生たち(現代文が比較的苦手)は「これだから天才は」「得意な人には苦手な奴の気持ちがわからんのや!」と半ば呆れながら彼の能力を称えた。
私にとっては、「歴史は流れで覚えろ」も、これと似たアドバイスに聞こえる。
もちろん歴史は因果関係を理解して覚えることが望ましいし、
国語は問題文に答えが書いてあるに決まっている(文章に載ってないことを問題に出すはずがない)。だからそれを読み取れば点が取れるし、書いてないことを勝手に思い込んではいけない。
ゆえにその主張は間違いなく正しいのだが、それはあくまで「得意な人はそういうことができる(だから得意)」という話。
言うなれば最終目標、もしくは理想像だろう。
苦手な人や初心者がまずやるべき課題のように教えるのは、ちょっと違うのではないか。
ここで、「歴史は流れで覚えろ!」に戻ろう。
出来事の因果関係とストーリーを正確に覚えるのが難しいとしたら、歴史が苦手な人は、まず何を覚えたらいいのだろうか?
歴史が苦手な(のに大学入試を日本史と世界史で受けるはめになった)自分が、色々考えてやってみてたどり着いた、暫定的な結論はこうだ。
「とりあえず大まかな区分単位で覚える」
大ざっぱに言えば、まず以下の区分をなんとなく頭に入れる。(正確な理解ではないので注意してほしい)
①原始時代
初めは狩猟採集生活してた。水稲農耕などが入ってきて貧富の差や争いが生まれ、小国が乱立した
②古代
地方豪族をヤマト政権が支配していった
天皇が国家体制を整えた
③中世
荘園制が成立
武士が力を増していった
④近世
武家政権の支配(全国的かつ中央集権)
⑥現代
第二次世界大戦以降
個々の出来事も年号も(ほぼ)出てこない、あまりに大まかな区分と、大ざっぱな特徴。これをふんわりイメージする(覚えなくてよい)
その次に、時代区分と年代をちゃんと覚える。
・縄文時代(1万年余前~約2500年前)
・弥生時代(紀元前4世紀~紀元3世紀くらい)
…etc
各時代が覚えられたら、時代の特徴、偉い人、大きい出来事、土地制度などを時代に結び付けて、時系列で覚える。
この手順を踏むと、歴史の『流れ』もかすかに、本当にかすかに見えてくる。
ここまで書いて思ったが、「時代区分の年代(順番)と内容」もまた、歴史の『流れ』と呼べるのではないか。
それらを覚えることは、国語でいう「起承転結」や「序論・本論・結論」の区分を理解し、文章を切り分け、各パーツの主旨を読み取る作業に近い。
この方法なら、いきなり文章全部の内容や因果関係を読み取れと言われるより、やりやすい。
私がまず覚えるべきだった歴史の『流れ』とは、実はそういう意味だったのではないか?
私は歴史の『流れ』のことを、あまりに難しく勘違いしていたのかもしれない。