蟹を茹でる

カニ @uminosachi_uni の雑記ブログです。好きなもののこと何でも。

RADIOFISHとチームしゃちほこコラボーー不足にこそ奇跡が宿る

カニです。

RADIOFISHがチームしゃちほことコラボしたのでちょっとMVを見てください。
https://youtu.be/sY51dShXvmM

BURNING FESTIVAL

その名も『BURNING FESTIVAL』
夏フェスにぴったりの情熱ほとばしるアップチューンです。
※以下、MVについてネタバレを含むのでご注意ください。



イントロからもうテンションが上がる。

そして何より、めちゃくちゃダンス踊れる格好良いアラサー(ダンサー)と、歌って踊れる超カワイイ若者(アイドル)が交互にラップしてるのがすごく良い。
ちょっとシュールな状況なんだけど、それゆえに独特で素敵なハーモニーが生じている。この空気感は他にはなかなか無いもので、両者のコラボだからこそ生まれたと思う。
各人にソロパートが割り振られているのが嬉しいし、それぞれのパートに個性がにじみ出ている。

名古屋出身でないためチームしゃちほこさんのことはあまり詳しくないが、このMVでも彼女らひとりひとりの個性を感じられた。クール、セクシー、キャピキャピしてそうで意外とシリアスが似合いそう、パワフル、キャワイイ……
今のところクールな子とパワフルな子が好きな気がします。

すっごい時間をかけてゆっくり登場して、全部を持っていく中田敦彦も良い。中田敦彦の本領を発揮している。
そしてもちろん藤森慎吾は超歌がうまい。最高である
榴弾のピンが思ったよりユルユルで焦りまくるシーンもお茶目でかわいい。



そして、MVを見て気づいたんですけど、仮面被ってる人がいますね。
間奏でおもむろ仮面を外しましたね。
超絶イケメンが出てきましたね!?

あのシチュエーションいいなと思いました。
「ずっと仮面を被っていた謎のキャラが、ついにその素顔をさらす」という、ハイレベルイケメンだからこそ効果的な演出。
さすがイケメンを周囲にはべらせる能力が異常に高い中田敦彦だけある、イケメンの活かし方を知っている。

……と思ったらこれはどうやら、リヒト*1がスケジュールの都合でどうしても参加できなかった? ゆえの演出だったそう。

制限が生み出す意外な面白さってありますよね。


不足のもたらす面白味

創作系のコンテンツを大人数で製作するときには、人員が足りない、スケジュールが合わない、時間がない、はあるあるだと思います。
学生劇団、社会人バンド、期間限定ユニットなど、本業を別に持っている集団では特にそう。ばらばらな予定の人をまとめてスケジュールを組むのはすごく難しい。

だからこそ、人数不足や時間の制約を、どんな工夫で乗り越えるかはとても重要だ。

個人的には、デスマで乗り越えようとするのは絶対やめたほうがいいと思う。心が荒むし。だいたいそういう団体、あんま仲よくないし。「なんであいつ稽古来ないの? 講義休めよ」とか平気で言うし*2。それに、最終的にマジでどうにもならなくなったらどうせ無理するんだから、そこまで余力を残しといたほうがいい。

かといって、どうせやるなら、シチュエーションには妥協したくない。「参加人数が少ないからAの脚本は無理ですね、得票数少ないけどCでいきましょう」みたいになると悲しい。
むやみに妥協案に逃げるとモチベーションも下がってしまう。

そこで必要なのは、デスマでも妥協でもない、発想の転換による工夫だ。
とはいえ「現状の質を完全に維持したまま大幅なコストカット!」とかいう魔法のような工夫はたいてい必要ない。ただ、絶対曲げられない部分を明らかにして、それ以外の部分で大胆に妥協すればよい。
ぬるっと全体的に妥協を重ねてしまうと、中途半端で、いかにも妥協案っぽい感じが出てしまう。だが、1点をあえて大胆に妥協してみると、むしろそこが尖ったポイントになることもある。



学生時代、先輩からその面白い事例を聞いたことがある。
先輩が観に行ったとある演劇公演、まったく一般的な会話劇だったのだけど、1点だけめちゃくちゃシュールだったらしい。

登場人物のひとりが扇風機だったらしい。

他の役者は扇風機を普通にキャラクターのひとりとして扱っていて、扇風機側も話しかけられると風を吹かせたり首を振ったりして答えて、ちゃんと意志疎通が取れていたそうだ。
イロモノ役者と思いきや、意外にキャラクターの掘り下げがきちんとしている……

その公演、めちゃくちゃ受けていたらしく、感心した先輩は、知り合いだった演出に尋ねてみたそうだ。「なんであんなネタ思いついたんですか?」と。
その人はこう答えた。

「いやー、役者全然足りひんかってん!」



なんかとてもいいなと感じた。制約を楽しんでいるし、不足をうまく活かして魅力にしている。



自分でも、似たようなことがあった。桃太郎の登場人物が全員おじいさんのコントをやったときだ。
もちろん桃太郎はおじいさんだし、なんなら桃もおじいさんだ(川から持ち帰った大きなおじいさんを割ると、中から小さなおじいさんが生まれ、おじいさんから生まれたので「おじいさん」と名付けられる)。

展開上、桃太郎のシナリオをそのままやるにはどうしてもおじいさんが5人必要だった(桃太郎・犬・猿・雉・鬼が同時に登場するため)。しかし他の演目との兼ね合いで、どうしてもおじいさんがひとり足りないと判明した。

「おじいさんが足りない」
この高齢社会で。

一同、緊急で案を練ることになった。
代役を募る?でも今からじゃ集まるかな? 雉って言うてそんな活躍してなくない?リストラする? でも桃太郎で雉いなかったら変じゃないですか? いや桃太郎で全員おじいさんなのがそもそも変だから。
……


「じゃあ、おじいさんの正体が、実はおじいさんだったっていうのはどうですか?」
「は?」
「あっすいません。雉の正体が実は鬼だったっていうのはどうですか?」



本番では、そこが一番受けた。
読み聞かせる母役の、「おじいさんの正体は…………おじいさんだったのです!」という熱のこもった台詞が、観客を「そらそうやろ」の渦に叩き込んだ。
めちゃめちゃ嬉しかった(これは自慢です)。


不在を効果的に魅せるアイデア

不足を補うためのアイデアが、創作そのものを面白くすることがあると思う。

『BURNING FESTIVAL』のMVは、まさにその好例だと思ったのでお伝えしたい。
(これからMVのリヒトがすごい良かったって話を延々します)



まずイントロで写り込む、仮面を被った謎の高身長男性。この時点で「……なんやあれ!?」という誘引力が働く。一瞬なのに意外なほど目を引くのだ。

リヒト(役の仮面をつけた男性)がはっきり現れるのは1番。伊藤千由李さんと共に槍を持って現れ、不思議な踊りを見せながら鎖を絶ちきる。
この時点では奇妙な動きと無機質な低音ラップも相まって、得体の知れなさが強い。
だがそれはむしろ、伊藤千由李さんの秘めたるシリアスさを引き出している。(伊藤さん、一見明るくてかわいいイメージなのに、なぜあんなにドープな曲が似合いそうな感じがするのだろう)

そして間奏。
メンバーひとりひとりの見せ場。
皆、各々の武器を構えてポーズをとるなか、リヒトはあの仮面を外し、不敵な笑みを浮かべる。なんとその顔がめちゃめちゃ美しい。

リヒトの持つ魅力が最大限に活かされている。
知らない人からすれば、「なんだろうあの仮面……」からの「イケメン!?」のギャップで掴まれるやつだし、
ファンからすれば、「今回は出ないのかな……」と思ってた推しが最高の見せ場で登場する、めちゃめちゃ嬉しいやつだ。
リヒトが来れない事態に対応して、この演出決められる人間は天才だと思う。

しかもこの対応、リヒトファンにとても誠実だ。
絶対に夏に出したい曲だし、チームしゃちほこさん側の都合もあるし、どうしてもひとりが参加できない日程でやるしかなかったけど、
けど、決してそのひとりを忘れないし、替えのきかないRADIOFISHの一員だと考えていると表明するために、リヒトだからこそ実現できる魅力的な場面を作ってくれた。
ファン的にはそりゃ推しがたくさん出てくれてるほうが嬉しいだろうけど、リヒトがかけがえのないメンバーとして扱われてることはちゃんとMVから感じ取れるし、「この演出考えた人、マジでナチュラルにリヒトのことを最強のイケメンだと思ってるんだろうな……」と思わせてくれる。
もちろんファンも(少なくとも自分は)リヒトのことを最強のイケメンだと思っているので、とても気が合いますね。

そして、この場面があることで、見ている側は脳内でリヒトの存在を補完できる。あのシーンによって、仮面の彼と、仮面を外した彼が結び付いて、仮面の彼がリヒトだと感じることができる。

推しが公式から大切にされているかどうかって、ファンにとってはすごく重要なことだ。



次に仮面の彼が登場するのは、2番のラップ部分。
仮面の彼は伊藤千由李さんの声援を受けながら、一生懸命井戸の鶴瓶を引き上げている。
こうなってくるとだんだん、仮面の彼がかわいく思えてくる。最初は不気味に見えたけれど、きっと彼はちょっと不器用で頑張り屋さんな働き者で、伊藤さんと意外に息の合うコンビだったりしそうである。仮面で顔を隠しているのにも、きっと彼なりの理由があるのだろう。

個人的イチオシは、ピンが抜けちゃった手榴弾で爆弾ゲームしてるところ。仮面で表情の大部分は隠されているのに、それでも仮面の奥の目が見開かれていて、動きもあわあわしていて、本当に焦っているのがわかる。超かわいいので注目してみてほしい。
推せそう。


不完全がかきたてる想像力

高校の現代文で、清岡卓行『ミロのヴィーナス』をやったことのある人はどれくらいいるだろう。
その評論のなかで、ミロのヴィーナス像は両腕を欠損したからこそ、普遍的な美を手に入れたと語られる。
欠けた部分や隠された部分は、無限の想像力をかきたてるからだ。その想像力こそが、ミロのヴィーナスをより美しく、神秘的に魅せる。

欠けた部分や隠された部分は、想像したくなる。
『BURNING FESTIVAL』の演出は、この効果を非常にうまく利用していると思う。



仮面は想像をかきたてる。
一つは、「あの仮面の下には、何が隠されているのだろう」という想像。この謎こそが、我々の注意を惹き付けてやまず、仮面の彼のキャラクターを空想させる。
そして、この謎は、間奏で登場するリヒトによって見事に回収される。そこには想像を越えた人が現れた驚きと、想像していた人がついに来てくれた喜びがある。

もう一つは、「何故、彼は仮面を被っているのだろう」という想像。この謎はMVのなかでは明かされず、謎のままであるからこそファンを魅了する。

ミステリーにも、犯人が誰かを明らかにする「who done it」の他に、「why done it」「how done it」という類型が存在する。何故そうなったか、どのようにしてそうなったかは、本来、人が知りたくてたまらないことなのだ。

ファンはすっかりこのシステムにはまっている。

「きっと顔を隠す秘密があるんだ」「王族の御落胤なのでは?」「勇者の血を引いているから、敵に狙われないようにNAKATAが仮面を授けたのだ」「お忍びの貴族では?」「美しすぎて人々を惑わせてしまうから、それを防ぐために仮面をしているんだ……」

いろいろな人が多種多様な空想をしている。みんな想像力たくましい。頼もしい。
完全に公式の手のひらの上で転がされている……と思わなくもないが、それがとても楽しいのだ。



もし良かったら、あなたも、想像力をかきたてられてみてください。

*1:超絶イケメンのことです

*2:体験談ではないです