蟹を茹でる

カニ @uminosachi_uni の雑記ブログです。好きなもののこと何でも。

オリラジファンがRADIOFISHの中田崇め曲をガチ紹介する

RADIOFISHの話をします。

中田崇め曲とは

『PERFECT HUMAN』に代表される、ボーカルの藤森慎吾がその高速ラップと美しいハイトーンボイスを、中田を褒め称えるためだけに使う、アレです。

RADIOFISHは『PERFECT HUMAN』で2016年紅白歌合戦にも出ています。また『PERFECT HUMAN』と後にリリースされた『ULTRA TIGER』は、Mステで披露されました。それなりに聞いたことがある人は多いんじゃないでしょうか。


中田崇め曲で大ヒットを飛ばしたRADIOFISH。だが、非ファンに言われがちなセンテンスが1つある。
それが、「RADIOFISHって同じような曲ばかり出してるよな」だ。

は?

は???

は?????

何らかのアーティストのファンならこの気持ちになったことが絶対あると思う。

非ファン、すぐ「西野カナは同じような失恋ソングばっかり」だの「サカナクションは全部同じ曲に聞こえる」だの「アジカンはリライトおじさん」だの「V系全員同じ顔に見える」だの言いがち。
非ファンがみんなそうなわけじゃない。たぶん一部にそういうこと言うの大好きな人がいて、色んなアーティストに言いまくってるんだろう。


それお前の世界の解像度が低いからそう見えるだけやで、それ松阪牛と安価な外国産牛肉の違いがわからずに「牛肉なんて全部味同じじゃん!」ってイキってるのとおんなじやで。と思わなくもない。

ただ、かく言う私もアイドルもののアニメ・ゲームキャラとか、うっかりするとわからなくなる。貴方はアイマスのお方? それともバンドリ? なるほどアイドリッシュセブンのお方……すみません不案内なもので……ってなる。

詳しくないとなかなか区別がつかない。
でも一度知ってしまえば、その後は驚くほどすんなり見分けがついたりする。



そこで、僭越ながらわたくしが、中田崇め曲の各曲を解説させていただきます。
RADIOFISHをぜひとも知ってほしい。

意外と多様な観点から崇められてて面白いから。

しかも「推しキャラを崇めるリリックを刻みたい!」ってときにこの上なく参考になるから。
それはもうほんとに。



Q.推しキャラを神として崇めたいんだけど、そういうのある?
A.あります。

Q.推しキャラが武将です
A.武将にぴったりな和風の曲あります。

Q.うちの国王は財閥の御曹司であらせられるんですが……
A.いい曲ありますよ。

Q.推しキャラがカリスマなんですけど
A.そういうのめっちゃ得意ですRADIOFISH

Q.私の推しは必ずやディビジョンバトルを制して東京を手に入れるはずだ
A.なんと東京を手に入れる曲もありますRADIOFISH

Q.ファラオはさすがに範囲外ですよね?
A.NAKATAは黄金色の巨大な塔も建てますので……



というわけで楽曲紹介へGO!!



※追記※
ご本人の中田敦彦様からコメントを頂きました。作詞者はラップ部分が藤森慎吾さん、タイトル決めとメロディ部分が中田敦彦さん担当とのことです。
記事では藤森慎吾さんが歌詞を書いている前提で論じてしまっていますが、実際にはメロディ部分の歌詞を書かれているのは中田さんです。お読みの際はその点をご了承ください。
※追記終わり※


PERFECT HUMAN

おそらくRADIOFISHで最も有名な楽曲。特徴的な振り付け・フライングマンや、NAKATAの首カックンは真似した方も多いのではないか?


この曲におけるNAKATAは、競争において勝者となり世界の支配者となった、完璧な人間。そんなNAKATAを藤森慎吾が賞賛し、彼の威光を知らしめる。民草も藤森慎吾とともに彼を崇め奉る。

ちなみにMVは映画『華麗なるギャッツビー』のオマージュとなっている。


個人的に、この曲を読み解くポイントは「世界史」。

ペコペコすんなよおいナポレオン
キングならそう 歴史くつがえす
彼こそすなわちTop of the world

上記のリリックからしても、NAKATAがナポレオンを遥かに上回るほどの歴史的な支配者であることがうかがえる。

また歌詞全体においても、NAKATAの描かれ方は宗教的な神というよりは世界の支配者であり、かつ現世利益を与える存在だと考えられる。

これらの観点から私が連想したのは、アレクサンドロス大王だ。
その超人的な政策能力と領地拡大の意欲で、世界の大部分を支配したほどの絶対的な王。
ナポレオンも彼を大英雄として敬愛していたとされる。


PERFECT HUMANにおけるNAKATAは、アレクサンドロス大王と同様、天才的な王国の運営者=世界の支配者だと思われる。

あくまでもこの曲におけるNAKATAは、一人の人間=HUMANにすぎない。しかしその完璧なカリスマ性と、賢君として民草に利益をもたらす天才的な運営能力により、人々から神格化されて崇められているのであろう。

そう考えたとき、NAKATA当人は「PERFECT HUMAN」を自称し、一方で藤森慎吾を筆頭とする民草たちは「We believe in new GOD」と歌いNAKATAを神と崇める、これらのリリックは何の矛盾もなく成立するのである。


黄金時代

エレクトロニックと疾走感ある三味線の音色が融合した、スタイリッシュで小粋な楽曲。
RADIOFISHファンにも特にこの曲が好きな人は多い。

持って回った文語調でもなく、小気味良い口語調と現代仮名遣いで変な癖がない。
だが語彙の選択は「群雄割拠」「天下統べるために」「羨望のさなか」と声に出して読みたい日本語が揃っている。藤森慎吾の歌声や高速ラップと相まって、耳にも心地よい一曲である。


この曲におけるNAKATAは、群雄割拠の時代に天下統一を果たした存在である。

信長? 家康? 否、中田
彼の存在は遥か彼方

との歌詞から見ても、NAKATAが優れた武将として称えられていることがわかる。おそらくNAKATAが秀吉好きであることも影響しているのだろう。


個人的なこの曲のポイントは「和」。
和文化や日本史的な観点をこれでもかと取り入れて、その全部を中田を誉めるためだけに使う贅沢さ。

花咲き乱れ 雲一つなく 月は満ち
欠けるものない 彼を慶ぶ 宴は終わらない

のリリックなど本当に美しい。
日本文化で風流の象徴たる「花月」を描いた歌詞だが、藤原道長の和歌である
『この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば』
を彷彿とさせる。NAKATAは武将的存在でありながら、貴族的な感性をも持ち合わせているのであろう。

このような歌詞もある。

後光が差した 神輿が来た
笛を吹いて 太鼓を鳴らせ

完全にである。
公家式の風流な宴を開くのみでなく、城下町の住民向けに祭りも開催しているようだ。
ていうかNAKATA自ら神輿に乗っているっぽい。

武将の力と栄光、公家の教養、町人の活気。NAKATAはそれらを兼ね備えた、三位一体の存在なのである。加えて振り付けには大いに歌舞伎の要素が取り込まれている。
それはつまり、武将NAKATAの威光が武家社会のみでなく、朝廷から芸人・町人に至るまで行き渡っている証でもある。


ULTRA TIGER

「虎 虎 虎虎虎」と繰り返すフレーズが印象的なこの曲。中田崇め曲の中でも随一の、闘志に溢れた歌詞とサウンドを持つ。

これまで、PERFECT HUMANにおいてNAKATAは絶対的な勝利者であり、黄金時代では戦乱はあれどもNAKATAに敵うものはいなかった。しかし、この曲において初めて、NAKATAは打ち倒すべき敵対勢力に直面する。
それは旧弊の権威である。


冒頭では、既存の権力に噛みつき、是正しようとする彼の姿が描かれる。
サビへ向けて盛り上がっていく1番のBメロの歌詞はこのようになっている。

さあ皆刮目せよ 英雄の行進だ
閉塞した時代に終わりの鐘が鳴る
古き世を駆逐しろ
反撃の牙を剥け

古き時代の権力対、それを打ち破る新世代の英雄NAKATAという明確な構図。これは『革命』を表していると見てよいだろう。

2番Bメロには革命後のNAKATAの姿がある。

さあ皆敬服せよ 帝王の戴冠だ
変革する世代のかちどきが聞こえる
栄光を今掴め
隠してた爪を出せ

帝王に就任したNAKATAの戴冠式、そして喜びの声を上げる新世代の人々の様子が歌われている。


この歌詞から、皇帝ナポレオンを連想する人も多いのではないか。
ナポレオンはブリュメールのクーデターで第一統領となり、やがて国民投票を経てフランス皇帝となった。
その戴冠式には教皇も招かれたものの、教皇から冠を戴くという慣例に反して、ナポレオンは自ら王冠を被ったという。

教皇の目の前で、ナポレオンは「己を皇帝たらしめるのは教皇の宗教的権威ではなく、己自身である」と示したのだ。
勿論NAKATAもそうしたはずである。


あの日見た神様の名前を思い出していつかきっと泣いてしまう

あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』と『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』を融合してそこに神様要素をぶち込んだ、RADIOFISHで最もカオスなタイトルである。
ファンでさえ細部がちょっとあやふやになるレベルで長いので、略して「あの神」と呼ばれることが多い。

これまでのNAKATAは神格化されてもあくまでHUMANであったが、遂にここでGODの領域へと足を踏み入れる。
NAKATAはある時期「ダンサー4人をスキルマスター、慎吾をシャーマンと呼びます。そして私は御神体です」と突然言い出してメンバーをぽかんとさせたことがある。おそらくそれと前後するように、この曲が作成されたのではないか。


この曲を読み解くキーワードは「神秘主義」だ。

神秘主義
Wikipediaでも項目があるので適宜参照してほしい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%A7%98%E4%B8%BB%E7%BE%A9

全ての力 今ここで解き放て
中田敦彦 彼の一部になるために
限界超えて 歌い舞い踊り弾けろ
Oh, you are my GOD

特に上記部分には神秘主義の影響が顕著と見える。


神秘主義の特徴は、絶対者と自己との合一体験にある。
祈祷者はトランス状態により忘我の境地に至る。その時祈祷者は絶対者を直接的に体験し、彼の自己は絶対者に完全に取り込まれて無となり、そこで絶対者の一部になることで合一が果たされる。

神秘主義のうちでも、歌詞の価値観はスーフィズムに近いと思われる。
スーフィズムは、イスラム教の神秘主義哲学。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%A0
Wikipediaの説明にこのような文がある。

ファナーに入るために音楽や踊りも盛んに用いられた。たとえば、白い布状の服を身につけて一心不乱に回る、回旋舞踊(セマー)と呼ばれるものを行い、神との一体化を求めた。

かなり『あの神』の世界観と共通する部分がある。

全ての力を懸けて歌い舞い踊り、限界を超えて「弾ける」ことで、彼=NAKATAの一部になる『あの神』。
一心不乱に回旋舞踊を行い、ファナー(自己の消滅)の境地に至ることで、絶対者=神との一体化をはかるスーフィズム


おそらくリリックを書いた藤森慎吾も、スーフィズムを始めとした神秘主義を念頭に置いて作詞したのではないだろうか。

さらに興味深いことに、『あの神』の振り付けにはNAKATAとスキルマスターが唇に人差し指を当て、「秘密」を示唆するポーズがある。振り付けを担当しているのはスキルマスターだ。
これは推測にすぎないが、NAKATAが藤森慎吾とスキルマスターそれぞれに、「『神秘』をテーマに歌詞と振り付けを作ってくれ」とオーダーしたのではないか?
スキルマスターは与えられたテーマから、「神聖でひそやかな雰囲気」「ミステリアス」「秘密」を連想して振り付けに反映し、
藤森慎吾は与えられたテーマから「神秘主義」「絶対者との合一」「スーフィズム」を発想してリリックに反映したのではないか……と私は予想する。真相は謎に包まれている。


その他に、歌詞には

星から舞い降りた人……

薔薇を思い泣ける人……

との文がある。これは『星の王子様』からインスパイアされた可能性が高い。
中田敦彦はかつて、しくじり先生にて『星の王子様』の授業を行ったことがある。中田はプレゼンの練習の際、相方藤森に何度もプレゼンを披露するとのエピソードもあるので、藤森がその影響を受けたのだろう。


NKT34

タイトルは「中田は今年で34歳」から来ている。噛まないのが化け物みたいな常軌を逸した超高速ラップが展開される曲。ダンス時の中田の動きもとにかく凄い。言葉では言い表せない狂気がある。

ここで描かれるNAKATAは、神様でありヒーローであり、キングであり救世主である。
特にヒーローと救世主としての側面が強い。NAKATAは超越的な絶対者であるだけでなく、人々を直々に救いに来るのだ。


「民話・伝承」をテーマにこの曲を語るのも面白いかもしれない。
NAKATAは桃太郎よりも早く鬼を退治し、しかも鬼が奪った財宝を平等に分配するという、桃太郎よりも完璧な被害者救済を成し遂げてしまう。
さらにシンデレラにドレスとガラスシューズを与えるが、魔女のものとは違いそれらは消えることがない。シンデレラは12時過ぎまで王子と踊り、そのまま結婚を果たす。
ある種、水戸黄門暴れん坊将軍的なニュアンスも感じさせる。優れた治世者でありながら、俗世間に赴いて直接的に悪を懲らしめ、善人を救うのだ。


中田をめぐる伝承は、個人を救うものに留まらない。

中田敦彦彼が涙すれば枯れ果てた大地に命宿る
中田敦彦彼が笑えば太陽よりも強き輝き放つ
中田敦彦彼が頷けば時代が大きく変わる

これらに至っては神話や伝説の領域である。
物理法則すら変えかねないほどの恩恵をもたらす伝承がある点は、救世主イエスキリストを彷彿とさせる。


GOLDEN TOWER feat.當山みれい

脚韻が華麗にドライブする藤森慎吾のラップと、当時高校生の當山みれいさんの歌唱力が相乗効果を生む一曲。

ここではNAKATAはまさに「資本主義の勝利者」として称えられている。莫大な富を保有し、何もかもを手にし、夜毎パーティーを開き、なおも富を産み出し続ける。『華麗なるギャッツビー』を思わせるNAKATAの姿がそこにある。

ドレスコードは彼敬す精神』、選ばれた者だけが参加を許される荘厳でクレイジーなパーティーは、いっそ清々しいくらいに拝金主義的である。

荘厳華麗な彼の祭典
富産み出す能力免許皆伝
降り注ぐ札束に皆昇天
彼の存在揺るぎない頂点

札束が降り注ぐところなど「最高」としか言いようがない。
日本のバブリーさとはまた異なる、アメリカの超富裕層的な趣がある。


タイトルにもある通り、「塔」はこの曲の重要なモチーフだ。1番ではこのように歌われる。

夜の闇に浮かび上がる
黄金色の巨大な塔

象徴的なイメージである。
ちょうどこの曲の発表時期の前、ドナルド・トランプが大統領候補者になったことが話題になっていた。おそらくこの歌詞は、トランプタワーを念頭に置いて書かれたのではないか。
この曲のテーマである富やパーティーも、不動産王で超富裕層たるトランプと合致する。

2番ではこうなる。

月に向かい伸び続ける
黄金色の巨大な塔

どことなくバベルの塔を思わせる。
また、これは非常に資本主義的なイメージでもある。事業で得た利益を事業拡大につぎ込むことでさらなる利益を得る、ゴールの無い拡大と利殖。
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で記述された、禁欲主義的な初期資本主義とは全く趣を異にする、享楽的な近代資本主義の象徴的光景がそこにある。

バベルの塔にせよ近代資本主義にせよ、そこはかとなく、わずかに破滅の予感を匂わせる。それこそがこの曲に、えもいわれぬ色気を漂わせている。


東京大革命 feat.焚巻&345/凛として時雨

ラッパーの焚巻と凛として時雨のメンバー345を加えて収録された曲。
ストリートのリアルを生々しく感じさせる焚巻のラップと、神々しい藤森慎吾のボーカルのギャップが、奇跡のように曲のテーマにはまっている。

東京のキングを決める戦いに身を投じるNAKATA。
今ここに東京大革命が行われ、NAKATAはKING of TOKYOとして生きる伝説となる……


歌詞には「龍」が象徴的に何度も登場する。
龍は古代中国ではまさに皇帝の象徴とされた。殊に漢の初代皇帝・劉邦には、龍にまつわるエピソードが多数ある。現在でも、龍が出てくる夢は吉夢とされている。

革命の夜明け前 燃えるような龍を見た
彼は言う 明日ついにこの街を手にいれる
TOKYO……

革命前夜に龍を見るとはつまり、「革命により東京のキングとなるのはNAKATAである」と、天が予言した証である。NAKATAが王になることは運命付けられていたのだ。

革命前夜、革命の日の朝、革命の日の夜。3度、NAKATAは龍を目にする。冷静に考えると24時間以内に3回龍に会っている。3回目などもう「おっ、またいた」くらいのテンションだったかもしれない。


東京大革命は演出も美しい。発表当初のバージョンではNAKATAが美しい蹴りを披露する振りや、NAKATAとスキルマスターが共に盃を飲み干す振りがあった。もしかすると三国志の逸話『桃園の誓い』のオマージュかもしれない。
現在よく披露されるバージョンは中田大演説verと呼ばれるものだ。曲の間奏部分で文字通りNAKATAが大演説をかます。これがかなり面白いので一度見てほしい。


進化論

この曲については以前にブログを書いたため、もしご興味があればどうぞ。
http://bloodandsugar.hatenablog.com/entry/2018/04/30/220502


タイトルの通り、「進化論」がテーマのこの曲。
歌詞では「進化論」が見事なダブルミーニングになっている。ひとつは、ダーウィンが述べた進化論。もうひとつは「ダーウィンが進化論を述べた」という事実自体である。つまり、当時支配的だった創造論に異を唱え、パラダイムシフトを起こしたこと。

この曲は、『環境に適した進化をする者だけが生き残る』というシビアなメッセージを含みながらも、『闘うことで、その環境そのものを自ら変えてゆける』と示す人間讃歌でもあるのだ。

また、MVは華やかで遊び心があるだけでなく、謎解き要素もある。
何度も見たくなるクオリティだ。


NEW GOD feat.May J

現状最も後に出た中田崇め曲であり、かつ最もヤバい中田崇め曲である。コラボした歌姫May J氏のえげつない歌唱力が、この曲の宗教みを爆上げしている。

MVは登場する誰もが神々しくて美しいのに、始まりから終わりまでずっとシュールなので一見の価値あり。


この曲のNAKATAはまさしく救世主イエス・キリストのようだ。

紛れもなくこの世で最も神に近い人
その力で全ての迷える仔羊救われる

歌い出しからこれである。
『迷える仔羊』という表現からもわかるように、この曲の歌詞にはキリスト教の影響が色濃い。「聖なる光」「天使」「永遠」など、これまでの中田崇め曲には見られなかった要素も数多ある。

神であり救世主であり聖霊である、それがこの曲におけるNAKATAだ。神に近い人の子として、仔羊たちを導きながらも、同時に楽園の新しい神でもある。この矛盾こそが、NAKATAの神聖さの源にもなっている。


そして、同時に『楽園の彼方まで 迷える仔羊連れて行く』という描写は、大乗仏教の思想に通じる。「菩薩が一切衆生を救済し、極楽浄土へと導いてくださる」という考え方だ。
人々を導くNAKATAというモチーフは、『進化論』を代表に、中田崇め曲に通底している。

さらに、熱狂や『愛を叫んでdancing for you』などの表現は、シャーマニズムを想起させる。一心不乱に神を想って踊り、トランス状態に至り、神にまみえる。
これは『あの神』で見られた神秘主義的要素にも通じる。

また、『善良な者をいたぶる荒んだ社会を 壊して変えられるのはきっとあの方だけ』との歌詞。社会の変革はあらゆる救世主の宿命だろう。既存の世界を変えるNAKATAの姿は、『ULTRA TIGER』にも見られた。


つまりこの曲におけるNAKATAは、キリスト教を基調として、様々な宗教の「神・救世主」像を融合してできた存在だと考えられる。
そして『NEW GOD』という曲自体が、これまでの中田崇め曲の総括的な立ち位置にある。

この曲で、中田崇め曲はある種の完成を見たのである。


まとめ

中田崇め曲はヤバい。