蟹を茹でる

カニ @uminosachi_uni の雑記ブログです。好きなもののこと何でも。

山月記の感想と解説 現代風に解釈してみよう

中島敦山月記

たぶん誰もがタイトルくらいは知っている小説。国語の授業で習った人も多いと思う。

万一タイトルでわからなくても、李徴が虎になるあらすじと、「その声は、我が友、李徴子ではないか?」の台詞くらいは耳にしたことがあるんじゃないかな。

実際ツイッターでもめちゃくちゃネタにされている。
展開や台詞のインパクトの強さもさることながら、「その声は!」って言うとけばオチがつく雰囲気あるから、ネタにしやすいんでしょうね。


山月記』はジョジョである説

そんな、ツイッター民にも人気の短編小説『山月記』。
このお話には魅力がたくさんある。

「かつての天才が失踪して虎になる」展開の不思議さ。
李徴(りちょう)とその旧友・袁(「にんべん+參」)(えんさん)のキャラクターの鮮やかな対比。
思春期の若者のメンタルに突き刺さる、李徴の「自分は何者かになれるはずだ」という自負。
『尊大な羞恥心と臆病な自尊心』など、独特なのに深く納得できてしまう表現……



魅力的だから当然ファンも多い。
一方で、食わず嫌いする人もいる。
その最大の原因は、文体がクソ難しいことだと思う。

山月記』で用いられている文体は、「漢文訓読体」。中国語の文章(=漢文)に、送り仮名をつけて語順を日本語に合わせて、無理やり日本語として読めるようにしたやつ。
翻訳して自然な日本語に直したわけじゃなく、漢文の漢字を出来る限りそのまま保って、読み下している。

なので当然難しい漢字がめちゃくちゃ多い。そもそも主要キャラの袁サンの名前がスマホでは入力できない。文字コードがない。草なぎ剛くんみたいな。
文章にも、音読みの熟語が多い。あと、日本語として自然じゃないような言い回しも多い。


しかも漢文訓読ってまじで古代から(古事記とか書かれてた時代から)あったし、時代によって変わってはきたけど、いまの漢文訓読は明治時代とほぼ同じ。
話し言葉の口語体とは全然違う文語体。めちゃくちゃ固い。

つまり、漢文をそのまま無理やり日本語にしてる上に、その日本語部分も私たちには馴染みがない。そりゃ脱落する高校生も出ますわ。



でもね、漢文訓読体って慣れたら面白いですよ。
まず、なんかリズムが良い。音読してて気持ち良い。元々が中国語で、リズミカルだからだろう。
大仰な言い回しが多いのもあって、「こんなん日常生活送ってたら絶対言わんやろ」みたいな表現もばんばん出てくるから、逆に楽しい。

あと、漢文にはストーリーがはっきりしてて面白いものも多い。キャラもぶっとんでる。豪傑のエピソードに「そいつが酒を樽ごと飲んで、生肉をそのまま食ったので、周りが皆ドン引きした」とかある。それどういう豪傑アピールなの? お腹強いよってことなの?



あの、ここまで書いて思ったけど、ジョジョですね。

癖のある読者を選ぶ作風、なんか妙にリズミカルで気持ち良い台詞回し、とんでもないのに何故か納得のいくロジック、予想外の展開の連続、キャラが立っていて魅力的。
つまり、「絵柄が苦手」「文体が無理」って言ってる人でも、一度じっくり読めばハマる可能性を秘めている!
苦手なはずの文体にいつの間にかどハマりして、むしろ読みやすい口語体では物足りなくなるかも。

あれですね、ウイスキー好きになるとむしろ、香りの弱い飲みやすいのでは物足りなくなるらしい、あの現象。
漢文訓読体は、ジョジョであり、ウイスキーである。



とか言っても、初心者にいきなりシングルモルトのスコッチをストレートで飲ますのは酷。鬼のやること。
むせるに決まってる。

だから、まずは飲みやすくブレンドされたウイスキーを、ハイボールや水割りにして飲みましょう。
……というコンセプトで、『山月記』の冒頭を、なるべく分かりやすく、現代風に解釈しながら解説したいと思います。


まずは『山月記』の冒頭を解説しよう

山月記』の冒頭はこんな感じで始まります。

隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ずから恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。

最初からフルスロットルで難しい。漢文訓読体が慣れない我々には読みにくい。その上、物語の舞台は唐代の中国。文化的にも地理的にも勝手が違います。

とりあえず何を言ってるか、ざっくり解説しますね。
「隴西地方出身の李徴くんはめちゃくちゃ賢い。若くして科挙※にも合格するほどで、江南地方の軍事・警察機関に配属された。でも頑固で超プライド高かったから、そんな地位の低い仕事で妥協できなかった」

もっと詳しく意味や背景を知りたい人は、ググってみてください。以下の記事は面白かったです。
http://globalizer-ja.hatenablog.com/entry/2017/06/23/110812

科挙」とは唐代における、役人になるための試験。試験の問題の難易度や範囲・分量がえげつなくて、非常に厳しい競争をくぐり抜けて初めて合格できた。合格するまでに30年くらいかかった人もいたらしい。
そんな難試験に若くして合格する李徴くんの優秀さがわかってもらえたでしょうか。

江南尉が賤吏呼ばわりされちゃってる件ですが、唐代にはこの地方、めちゃくちゃ田舎。敵がガンガン攻めてくるような地域でもないし、そもそも唐代だと軍事警察系はあんま権力なかったらしい。つまり李徴くん、優秀な自分が不人気部署に配属されて、すねた。

いくばくもなく官を退いた後は、故山、※(「埒のつくり+虎」)略(かくりゃく)に帰臥し、人と交わりを絶って、ひたすら詩作に耽った。下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとしたのである。

しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。李徴は漸く焦躁に駆られて来た。この頃からその容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀で、眼光のみ徒に炯々として、曾かつて進士に登第した頃の豊頬の美少年の俤は、何処どこに求めようもない。

「すぐ仕事やめちゃって、地元に戻った。人付き合いもせずにひたすら詩作に打ち込んだ。役人の下っ端として悪徳高級官僚の上司にペコペコするよりは、詩人としての名声を後世に残そうとしたからだ。
でも詩人としての評判は上がらず、生活はどんどん苦しくなる。李徴はようやく焦りだした。顔立ちも痩せこけてきつくなり、眼光だけらんらんとして。昔、科挙に受かった頃の、ふっくらした美少年のおもかげはどこにもない。」

数年の後、貧窮に堪えず、妻子の衣食のために遂に節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになった。一方、これは、己の詩業に半ば絶望したためでもある。曾ての同輩は既に遥か高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才李徴の自尊心を如何に傷つけたかは、想像に難くない。彼は怏々として楽しまず、狂悖の性は愈々抑え難くなった。

「数年後、貧しさに耐えきれず、妻子を食べさせるため、ついに志を曲げた。再び田舎で、田舎の役人の職に就いた。それは、自分の詩の才能になかば絶望したからでもある。
昔の同期はもうはるかに出世していた。昔、ポンコツだと相手にしなかった連中の部下になり、命令を受けねばならないことが、かつては秀才だった李徴のプライドをどれほど傷つけたか。
彼は不満を抱えていつも不機嫌で、非常識で不道徳な性質が抑えられなくなった。」

一年の後、公用で旅に出、汝水のほとりに宿った時、遂に発狂した。
或る夜半、急に顔色を変えて寝床から起上ると、何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下にとび下りて、闇の中へ駈出した。彼は二度と戻って来なかった。附近の山野を捜索しても、何の手掛りもない。その後李徴がどうなったかを知る者は、誰もなかった。

「その一年後、仕事で出張し、汝水のほとりに泊まった日、李徴はついに発狂した。
夜中、急に顔色を変えて起き上がると、訳のわからないことを叫びながら飛び降りて、闇夜の中へ走り出した。彼は二度と戻ってこなかった。近くの山を捜索しても、何も手がかりがない。その後李徴がどうなったかは、誰も知らない。」



ここまでが、メインパート(李徴と袁サンの再会)までの、舞台設定やキャラの背景を理解する部分です。
なんとなく雰囲気掴んでもらえたでしょうか。
物語はいよいよここから、袁サンが現れて動き出します。


山月記』の冒頭を現代風に解釈する

メインストーリーに入る前に、冒頭の時代背景を踏まえておきたいと思います。理解しやすいように現代風に解釈してみます。別にいいやって人は読み飛ばして次へ。


まず、若くして科挙に受かったものの、江南尉に任命されて辞めてしまう展開。
ここは現代風に言うなら、こんな感じかな?

「東大法学部に現役で首席合格した秀才が、国家総合職試験にも高得点で一発合格。しかし希望だった財務省経産省には受からず、厚労省の地方部局採用に。不人気部署への配属に不満だった李徴は、すぐに公務員をやめてしまう。」

ごめんね厚労省さん……不人気の例えに使って……福祉とか労基とか重要だとは思ってますからね……


あと大概、読んでてひっかかるのが、李徴が急に詩人になろうとすること。
今の我々の感覚だと「詩???」ってなりません?
役人から詩人にジョブチェンジするって、「お父さん、公務員はやめてこれからはラップで食っていこうと思うんだ」くらいの唐突感あるやん?

でもこれ、唐代って時代背景をちゃんと踏まえたら、ちゃんと納得がいきます。
さっき、役人になるためのめちゃくちゃ厳しい試験、「科挙」に受かったって言いましたね。
科挙の試験のメイン科目、漢詩です。

唐代における詩は、現代の感受性ポエムみたいなイメージではなかった。むしろ、学問の最高峰。サブカルチャーではなく、権威あるメインカルチャーだったわけですね。


そして科挙に受かるくらい漢詩が得意だった李徴は、詩の道を極めて名声を得ようとします。勉強や研究が得意だった人が、学者になろうとするのに近い。

だから現代の状況に置き換えるとこんな感じ。

公務員をすぐに辞めた李徴は、東大の公共政策大学院に入り直す。望まない部署で凡庸なクソ上司の機嫌とりながら仕事するよりは、学者として業績を残して名声を得ようと思ったから。
でも全然研究がうまくいかない。査読つきの学術雑誌になかなか載せてもらえず、業績も積めない。ポスドク切れた後の採用が全然見つからない。どんどん生活は苦しくなる。李徴は過労とストレスで痩せこけてしまった。

院生のメンタルにはむちゃくちゃぶっ刺さるであろうこの展開。つらい。博士の就職難……

結局李徴は学者として業績を残せず、しかも妻子持ち、貧しさにも耐えきれず。官僚になった元同期のコネを頼って、地方自治体の嘱託職員の仕事に就かせてもらう。
昔は自分のほうが遥かに優秀だったはずなのに。自分より遥かにポンコツだったはずの同期たちは、こつこつ公務員の仕事を続けて、遥か偉い地位に登り詰めていた。
李徴はいまやその下っ端として、彼らからの命令を受けて、指示通りに仕事をする立場になってしまった。

学者としての自分の才能に絶望していた李徴。その上仕事でもプライドを傷つけられて、メンタルがどんどん病んでいく。攻撃的で非常識になり、ついにはある日完全におかしくなり、突然叫びだして失踪してしまった……。


あかんな?
現代に置き換えて、リアルにありうる感じにしてしまうと、思ったよりつらいな?
いそう、こういう優秀な大学生……そして大学院生……ポスドク……

完全に暗い気持ちになってしまったやつですが、気持ちを切り替えて続きに行きましょう!


山月記』の続きを読み進めよう

いよいよ袁サンが出てきます。私は好きです袁サン。

翌年、監察御史、陳郡の袁※(「にんべん+參」)えんさんという者、勅命を奉じて嶺南に使いし、途に商於の地に宿った。

袁サンはこつこつ官僚を続け、監察御史というめちゃくちゃ偉い役職についた人です。色んな地方の役人が不正をしてないか見張る仕事で、皇帝直属の役職。当然、権力も強いし、部下もたくさんいます。
今回は皇帝から直接奉じた命令により嶺南地方へ向かうことになり、途中で李徴が失踪した地点に近い、商於に泊まります。

次の朝未だ暗い中に出発しようとしたところ、駅吏が言うことに、これから先の道に人喰虎が出る故、旅人は白昼でなければ、通れない。今はまだ朝が早いから、今少し待たれたが宜しいでしょうと。袁※(「にんべん+參」)は、しかし、供廻りの多勢なのを恃み、駅吏の言葉を斥けて、出発した。

この場面ちょっと笑ってしまうんですよね。地元の役人が「人喰い虎が出るんで昼まで待ってください」って言うてるのに、「大丈夫大丈夫! 同行者いっぱいおるからいけるいける!」って忠告無視して森へ突入。

お前『山月記』の世界観だからよかったけど、これがホラー映画の導入だったら絶対死んでるぞ。
絶対何かしらで仲間とはぐれたところを虎に喰われる。袁サンの叫び声を、はぐれた部下たちが聞き付けたときにはもう遅い。上司を探すために何人組かで分散していた部下たちは、次々に人喰い虎に襲われていくーー
というところまで考えた。

残月の光をたよりに林中の草地を通って行った時、果して一匹の猛虎が叢(くさむら)の中から躍り出た。

ほら見ろ! フラグ回収したぞ。
しかし虎は、すぐに元の草むらに隠れる。

虎は、あわや袁※(「にんべん+參」)に躍りかかるかと見えたが、忽ち身を飜して、元の叢に隠れた。叢の中から人間の声で「あぶないところだった」と繰返し呟くのが聞えた。その声に袁※(「にんべん+參」)は聞き憶えがあった。驚懼の中にも、彼は咄嗟に思いあたって、叫んだ。
「その声は、我が友、李徴子ではないか?」

来た!
前半では最も印象的なシーンと言ってもいいと思う。

しかし、虎が隠れた草むらから聞き覚えある人間の声がするからと言って、とっさに「その声は我が友!」って思い当たるのすごいな。袁サン、柔軟。頭の回転が早い。さすが超エリートなだけある。

え? 人喰い虎……と人間が同じ草むらに? 大丈夫かその状況。人間喰われない?  それとも人語を喋る虎なのか? ……着ぐるみ? いや虎の着ぐるみ着たおじさんじゃないよな
あぶないところだったって何よ。あぶないところだったのどっちかといえばこっちだよ。
そういえばなんかこの声、聞いたことある気がするな……誰だったっけ……だいぶ昔のことだからパッと出てこない……えーと……
あっ李徴か! あいつそういえば行方不明だっけ。こんなところにいたの? えっ李徴って虎になったの!? マジで!?

私ならこうなるわ。もうそんな考え込んでる隙に李徴逃げてるわ。物語ここで終わってたわ。ていうか始まってすらなかったわ。よかったわ登場人物が袁サンで。

袁※(「にんべん+參」)は李徴と同年に進士の第に登り、友人の少かった李徴にとっては、最も親しい友であった。温和な袁※(「にんべん+參」)の性格が、峻峭な李徴の性情と衝突しなかったためであろう。

袁サンも科挙に合格した有能で優秀な人物。性格も温和で、誰とでも仲良くできて、皇帝直属の役職に大出世している。

私たぶん、社交的で努力家な秀才と、根暗な天才肌の組み合わせに弱いな。

叢の中からは、暫く返辞が無かった。しのび泣きかと思われる微かな声が時々洩れるばかりである。ややあって、低い声が答えた。「如何にも自分は隴西の李徴である」と。

ここ、すごく切ない場面。かつての友人に言い当てられて、李徴は葛藤する。答えようか答えまいか。
同期の旧友に今の姿を見られたくないプライド。人とのつながりに飢え、かつての友と語らいたい欲求。結局李徴は、すすり泣きながら、袁サンの問いかけに答えることを選ぶ。それほど、寂しかったのかもしれない。

 袁※(「にんべん+參」)は恐怖を忘れ、馬から下りて叢に近づき、懐かしげに久闊を叙した。そして、何故叢から出て来ないのかと問うた。李徴の声が答えて言う。自分は今や異類の身となっている。どうして、おめおめと故人(とも)の前にあさましい姿をさらせようか。かつ又、自分が姿を現せば、必ず君に畏怖嫌厭の情を起させるに決っているからだ。しかし、今、図らずも故人に遇うことを得て、愧赧の念をも忘れる程に懐かしい。どうか、ほんの暫くでいいから、我が醜悪な今の外形を厭わず、曾て君の友李徴であったこの自分と話を交してくれないだろうか。

袁サンのすごいところだ。旧友だと知るや恐怖を忘れ、虎と化した相手と友情を温めあえる。
李徴はこんな袁サンの性情をわかっていたからこそ、プライドを越えてまで彼に正体を打ち明けたのだろうな。
それでもやはり、李徴の自尊心は、虎としての姿を見せることを許さない。醜い怪物としての姿を、友人に晒したくない。「必ず君に恐れと嫌悪の念を起こさせるから」と言う。もちろん袁サンに嫌な思いをさせたくないのもあるんだろう。けど本当のところは、自分を受け入れてくれた袁サンに怖がられたくないとか、袁サンが自分を嫌悪する姿を見たくない、ってのがあるんじゃないか。


「偶然親友に会えて、自分の姿への恥じらいを忘れるほど懐かしい。どうかほんのしばらくでも、我が醜悪な今の外形を気にせずに、かつて君の友李徴であった私と話してほしい。」

李徴は虎になった今でも、かつての頑固さやプライドの高さに囚われたままだ。だから、「自分の姿が恥ずかしい」とか「我が醜悪な今の外形」なんていちいち言わずにおれない。
それでも逃げずに、(草むらに隠れてはいるが)袁サンと向き合うほど、李徴は袁サンのことが懐かしくて、どうしても話したかった。
きっと友愛の情は本物なんだと思う。

姿を見せるのをあれほど拒むのも、親友だった袁サンには、あの輝かしい天才美少年だった頃の自分を覚えていてほしいからかもしれない。虎の姿で上書きされたくないんだ。

でも袁サンも袁サンだよな。「なぜ草むらから出てこないのか」って虎だからに決まってるやん。あなた絶対他人がすっぴんかどうかとか気にしないタイプでしょう。

 後で考えれば不思議だったが、その時、袁※(「にんべん+參」)は、この超自然の怪異を、実に素直に受容れて、少しも怪もうとしなかった。彼は部下に命じて行列の進行を停め、自分は叢の傍に立って、見えざる声と対談した。都の噂、旧友の消息、袁※(「にんべん+參」)が現在の地位、それに対する李徴の祝辞。青年時代に親しかった者同志の、あの隔てのない語調で、それ等が語られた後、袁※(「にんべん+參」)は、李徴がどうして今の身となるに至ったかを訊たずねた。草中の声は次のように語った。……

理屈を越えて、その場で起こっていることを素直に受け止められるって、すごい長所だよな。
そうやって悪をも受け止めて、清濁併せ呑んできたからこそ、トップの地位に就けたのかもしれない。

にしても、とても心を揺さぶられる場面だ。何年も会っていなかったのに、まるで昨日までずっと親しかったみたいに話せる。それが親友なんだろう。
李徴は嬉しかっただろうなあ。親友がすぐそばに寄り添ってくれて、他愛もない話を、人間として一緒にすることができる。きっとずっと求めていて、満たされなかった気持ち。それを満たしてくれたのが、昔から一目置いていたかつての親友だった。嬉しかっただろうなあ。
「青年時代に親しかった者同志の、あの隔てのない語調で」……エモい。超絶エモい。
これ以上にエモい『あの』なんてあるだろうか?

それでも、やはりこの瞬間はずっと続くわけではないんだ。李徴は既に虎になってしまったのだから。初めは袁サンを彼と気付かず、襲いかかって喰おうとしていたほどだから。
奇跡のような偶然が重なって、この刹那が成立しているだけなんだ。



この後も物語は進んでいき、李徴がなぜ、このような状況になったか、李徴の心情を交えて語られてゆく。


追伸

ひとまず、解説はこのあたりにとどめたいと思います。
もし『山月記』に興味を持ってもらえたなら、ぜひこの動画も見てください。
中田敦彦YouTube大学 山月記ストーリー編

山月記徹底解説編

あと、虎になった理由は李徴の口から語られてゆくんですが、余談。
虎はそのからだの縞模様の複雑さから、「文字の獣」ともいわれるんだそうです。模様が漢字のようにも見えるから。
漢詩に執着して、詩人として名を残したかった李徴が「文字の獣」になるなんて、強い因果を感じます。